表記について
メディアの世界にどっぷり浸(ひた)っていますと、年々メディアがもつ魔性のようなパワーに不感症になっていきます。自戒しなければいけない、と思っています。それでも若いころは、まだ敏感でした。
その1例です。昔、リーガンという元映画スターのカリフォルニア州知事がいました。かれは米大統領選に出馬しました。
当選する直前だったか、当選直後だったか、「こんご、リーガンをレーガンとする」というおふれがでました。朝、目がさめましたら、ほとんどすべてのメディアがレーガンと表記していました。
あの見事なまでの、メディアの共同歩調には驚きました。そして、どこか、ヒンヤリとしました。
もっとも、リーガンとレーガンの2つがあっては、受け手は混乱します。こういう例は許容範囲内ですね。いま、リーガン元大統領と表記したら、「え、そんな人、いたっけ?」となってしまいます。
「北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国では…」と、NHKはほんの数年まで、ご丁寧にこうアナウンスしていました。
一部の新聞は「北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)」、あるいは「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)」と、ほんのこのあいだまで、ご丁寧にもカッコつきで表記していました。
さいわい産経新聞も、『正論』も、こういう、わずらわしい、“おもねり表記”から自由でした。
いまだかつて韓国(大韓民国)という表記は、みたことがありません。どうして、北だけが、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)となったのでしょう。
思うに、1時期の朝鮮総連には、日本の有力メディアをねじ伏せるだけのエネルギーがあったからではないでしょうか。
昔々、『週刊サンケイ』編集部のデスクのころ、「金日成は4人いた」という柴田穂さん(元産経新聞論説委員長)の論文を掲載して、朝鮮総連の波状攻撃をうけました。
暴力を振るわれたわけではありません。ことばはきつかったけれど、振り返ってみますと、比較的、紳士的な態度であったと思います。
神様のように尊敬している政治リーダーをにせものときめつけたのですから、かれらの怒りには、もっともなところがありました。
数十人のグループが一定の間隔をおいて抗議にくるので、仕事は完全にストップしました。その応対についやした精神的、肉体的エネルギーは、すさまじいものでした。
私より年配のN記者が、交代して応接にあたってくれました。Nさんには、いまも頭があがりません。
有力メディアもこのエネルギーの浪費に耐えられなかったのでしょう。朝鮮総連の凋落で、やっと表現の自由を得たのでした。
12月 8, 2005 B 大島月刊編集長のひとことメモ | Permalink
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受信: 2005/12/08 17:50:58


コメント
投稿: マスコミが伝えない韓国 | 2005/12/08 17:55:21
>
数十人のグループが一定の間隔をおいて抗議にくるので、仕事は完全にストップしました。その応対についやした精神的、肉体的エネルギーは、すさまじいものでした。
>
興味深い記事です。
もっと抗議関係について、過去にどのような団体がどんな形で抗議してきたのか、をもっと知りたくなりました。可能な限りで結構ですので公開してください。
投稿: レフチェンコ | 2005/12/08 18:13:28
寒いです
そろそろ正論大賞の季節ですが
過去の受賞者の経歴を検索すると
曽野綾子さんと岡崎久彦さんの経歴に
「鹿内信隆正論大賞」受賞
と記されています
正論大賞の正式名称は
「鹿内信隆正論大賞」でよろしいのでしょうか?
投稿: じゃリン子テツ | 2005/12/08 18:43:17
僕は、メディアが言論の自由を主張するとき、それもさも当ったり前の当然の権利のようにそれを要求するとき、正直なところ湧き上がる軽蔑心を抑えるのに苦労します。
昔の外国のエライヒトが、なんかそれを必要と言っていたらしい…それが我が国(だけではないが)では一人歩きし、そして民主主義という自己愛の宗教による味付けにより、まるで自明の真理のようになっている。
しかしマスメディアが存在したことによる功罪のうちどちらが重いか、実はそれはそう簡単に判断できるものではないと思います。
証拠は枚挙に暇がない。一例をあげれば、僕は我が国のあらゆるメディアにおいて、答えを出さぬ両論併記の記事にもほとんどお目にかかったことがありません。自分の媒体の政治的立場に都合の悪いことは極力扱いを小さくする。読者は、下手をすればまともな反対意見が存在することすら知らぬままになる。
国家のサバイバルという観点において、言論の自由を主張することは、僕自身、現状ではやむをえまいとおもってはおります。
しかしながら。
居候の三杯目ではありませんが、その自由をもう少し、過去の己の飢えた野良犬のような幾多の振る舞いを省みつつ、遠慮がちに主張できないものでしょうか。
「もうホントすんません! もう本当に申し訳ないと思ってます。こんなこと言える立場じゃないこともわかってます。でもそんな俺たちですが、いなきゃいないですごく困ることもあると思うんです。だからここは必要悪とお思いになり、ひとつお願いします…」
こんな具合にです。
投稿: もに | 2005/12/09 0:21:13
とある作家さんがその作品の中で「マスメディアと言うのは極論すれば『政治の監視』に他ならない」と書いております。
それはつまりマスメディアに対する信頼性の顕れという気がします。なんと言うかマスメディアの公共性を信じていると言うか。
これは人間を分析する時に性善説を根っこに分析に取り掛かるのと同じようなもので、非常に危ういスタンスであると言わざるを得ません。
何故なら、犯罪者であれ世論誘導者であれ、その想像力の逞しい事は一般人の類推するところではないからです。悪い事を妄想すれば際限がない人も居る訳ですし、寄って立つ思想が違えば類推から導き出された解答が違う事は明白です。
ですから僕が個人的に思うのは「公共性」に捉われる事の無いメディアです。メディアが己の思想を明確に打ち出し、それに沿った記事を書く。
このようにマスメディアが展開してくれるような世の中になれば、「一つのメディアに捉われない選択を出来る国民」の誕生であり、これまでの概念を取り払ったマスメディアの完成は近いと思います。
一つの情報源で事を見極める事を是としない国民であれば、あらゆる思想のメディアを読み比べる事になるでしょう。それが普通になれば真の公共性のあるマスメディア団体の誕生です。
何も一つの会社でわざわざ両論併記する必要も無いような気がするのは僕だけでしょうか。
投稿: じゃリン子テツ | 2005/12/09 4:02:37
>もに 氏
>何も一つの会社でわざわざ両論併記する必要も無いような気がするのは僕だけでしょうか。
これを僕への論駁とみて、お答えしましょう。
各媒体が好き勝手な意見を書き、大衆はそれを承知で購入すればよい…このやり方では、
各媒体による受け取り手への奉仕合戦が起きませんかな?
読者にとってもっともっと気持ちのよい意見を…その結果耳に痛い意見を言う媒体が信用を無くし、さらには多様性が失われていくのです。
それにはたして大衆は時間をさいてまでわざわざ違う媒体に目を通し続けるかどうか。それも一種の性善説ではないのか。
試みに韓国の現状を見られよ。
ハンギョレは愛国的新聞で、朝鮮日報は親日的な新聞(!)ということになっている。
僕たちの意見は「悪貨は良貨を駆逐するのではないか」という点では一致していると思います。
ですが「言論の完全自由化」では、悪貨の増殖をむしろ加速しはしないでしょうか。
だからやはり、メディアは、公平性という種の割れた手品のような見え透いた建前を、それでも保ち続けるべきではないか。そのやせ我慢こそが最も貴重なもの、と思われます。
メディアが自由を当然のこととみなすことは、もともと乏しい公共心をさらに失わせる-一つ目の書き込みで僕が言いたかったことはそういうことなのです。
投稿: もに | 2005/12/11 12:46:16
なるほど。仰るとおりだと思います。
僕は浅学なのでどうにもこうにも「極端」に行き過ぎちゃうのですよね・・・。
ただ、なんと言うか既にご都合主義的な報道がブラウン管や紙面を席巻する中で、大衆迎合的な報道は息を潜めている気がして、いけるかなぁなんて思ってしまってました。
ところで、http://d.hatena.ne.jp/niol/20051126#1132973961 noilの日記さんに面白い考察が書かれています。
各種メディアの一次ソースは信頼するものの、それに対する分析や考察の部分で信頼に足るメディアが少ないと言う物です。
確かに一次ソースを編集して都合の良い部分だけ流して、印象操作する例が沢山見られます。そしてそれに対する反論や否定の意見は表に出てこない。これが大問題なわけですよね。
その点、ネットでは反論や否定的な意見でも、即座に反応が見られる場合が多い。ですから管理人はある意味両論併記せずとも、結果的には両論が併記されたページが出来上がります。(ただまぁロジックでなく感情論が大きく占めると言う弱点はありますが)
単純にニュースを丸呑みするのではなく、種の割れた手品を見ながら、喧々諤々論を交わす。と言ったやり方がこれからのマスメディアの賢い使い方なんでしょうか。
投稿: じゃリン子テツ | 2005/12/12 9:11:12
>もに 氏
マスメディアがほとんど常態のものとしている「反権威・反権力(政治家叩いたり企業を叩いたり)」も、より深刻な大衆迎合の一種である場合が多いと思うのですよ。
それはさておき…。
>その点、ネットでは(中略)結果的には両論が併記されたページが出来上がります
ホントにその通りですね。ネットの性格は、宅配制の新聞や、自分で売店に行ってお金を払わなければ手に入らない雑誌などとは、ずいぶん事情が違っています。
クリック一つで各新聞社の社説や記事が読み比べられたり、その読み比べのサイトにもすぐに飛んでいけたりしますし。変な記事はすぐに引用されて電網上を駆け巡りますしね。
>単純にニュースを丸呑みするのではなく、種の割れた手品を見ながら、喧々諤々論を交わす。と言ったやり方
実際にこうなりつつありますよね。ご存知の事と思いますが、韓国の新聞のネット版などでは、記事に対して読者がコメントする欄までついている。これを朝日なんかがやったら、どうなるんでしょうかw
問題はこれらの自由を僕たちがうまく乗りこなせるか、でしょうね。いまのところはなんとかいい具合にいっている気もしますが。
ゆくゆくは日比谷焼き打ち事件のようなことにならないか、心情保守の僕は心配なところではあるんです。
それにしても"もに"さん、「正論ブログ」に飽きてどっかいっちゃったと思った…。
(つд`) 仲間が減らなくてヨカッタ…
投稿: もに | 2005/12/13 15:14:42
>じゃりん子テツさん
飽きてないですよw
このオピニオン誌系ブログと思えないまったり感は、他のネット言論系ブログでは味わえない奥の深さ(?)がありますからねw
さて、恐らく皆さんも目を通されているかもしれないけれど、「参加型ジャーナリズム」に関して深く考察したブログがあります。一応念のため紹介しておきますね。
「ネットは新聞を殺すのかblog」
著者:湯川鶴章さん
http://kusanone.exblog.jp/
ここで参加型ジャーナリズムの未来予想や、メリット・デメリットが考察され、紙媒体のマスメディアとの関係も取り扱われています。
面白いのは日本と言う単一民族国家と、アメリカのような多民族国家では捉え方が違うと言うものでした。「情報の公平な共有」と言うのは国民主権民主主義の大事な要素でありますが、言語統一の難しいアメリカのような社会では日本以上に「参加型ジャーナリズム」の難しさが露呈しているようです。
日本に暮らしていて、どこでも日本語で通じるという社会が当たり前な僕にとって、新鮮な驚きを感じました。