2006年10月 3日 (火)

「『iza(イザ!)』に引っ越します!

昨年11月1日にひらきました「正論ブログ」も、6月2日午後5時、予定通り産経新聞グループの新鋭、産経デジタルの新ポータルサイト「iza」へ引っ越しを完了しました。

7か月にわたってご支援いただきました「ココログ」をはじめ、関係者の皆様、ユーザーの皆様にあつく御礼申し上げます。

累計アクセス数は345060件におよびました。この欄で、さまざまな出会いがあり、感動があり、そして教えられました。

当ブログはひきつづき、http://oshimas.iza.ne.jp/でご覧いただくことができます。こんごとも、よろしくお願い申し上げます。

         6月3         

       月刊「正論」編集長 大島信三

                    担当編集部員 牛田久美

         技術担当 産経デジタル・刈田義和

10月 3, 2006 B 大島月刊編集長のひとことメモ |

2006年6月 2日 (金)

イザ!

村上ファンド、危うし。シンガポールから帰国した村上世彰氏の格好は、逃亡者スタイルでしたね。

出生率1.25とは、深刻です。そのなかで福井県のみ上昇。福井県に賢人あり。だれが、どのようにして、この結果をえたのか。教えて下さい。

いま、テレビニュースが、成田空港ターミナルを映しています。「きょう、記念すべきときに、ナリタに来られてよかったです」と、旅行客がにこやかにコメントしています。めぐりあわせのいい人って、いるんですよね。

成田空港第1ターミナルビルの南ウイングが、きょう、オープン。延べ床面積147000平方㍍、地上5階地下1階。気になっていたのは、有名ブランドの出店数ですが、結局、17店舗。よくぞ、これだけそろえました。

なにごとも開店当日というのは、華やいでいて、いいものです。きょうの午後5時、産経新聞グループの新鋭、産経デジタルの新ポータルサイト「iza」、スタート。当ブログも、新ターミナルに引っ越すことになりました。

サイトURLwww.iza.ne.jpです。トップ画面右上の「イザVoice」をひらいて、「記者ブログ一覧」をクリックして下さい。わたしのブログへまっすぐ立ち寄りたい方は、http://oshimas.iza.ne.jp/へどうぞ。ただ、申し訳ありませんが、コメントは、初回だけ、会員登録が必要になります。ハンドルネーム(ID)、メールアドレスを入力するだけのカンタンなものです(わずらわしくて、ごめんなさい)。どうぞ、ひきつづき、よろしくお願いします。

<きょう・あす・あさって>

平成3年(1991年)6月3日 雲仙普賢岳で火砕流。警察官、消防団員、報道関係者など37人死亡。あれから15年。

〔フォトタイム〕

旧古河庭園その1

「西洋と日本が調和する、歴史的な名園」というのが、旧古河庭園のキャッチフレーズ。大正初期の庭園の原型をとどめる貴重な存在で、ことしの1月26日、国の名勝に指定されました。古河鉱業のオーナー、古河家の旧邸宅。洋館の設計は英国人建築家、ジョサイア・コンドル(1852~1929年)です。現在は都営の有料公園として公開されています。所在地は、東京都北区西ヶ原1-2739JR京浜東北線上中里駅下車、徒歩7分。東京メトロ南北線西ヶ原駅下車、徒歩7分。JR山手線駒込駅下車、徒歩12分。休園日は1229日~1月1日。入場料一般150円。65歳以上70円。

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6月 2, 2006 B 大島月刊編集長のひとことメモ | | コメント (3) | トラックバック (9)

2006年6月 1日 (木)

田園風景

ふるさとから笹だんごが届いた。2週間前にもおくられてきた。笹だんごが配達されると、ああ、田植えが終ったのだ、と思う。ふるさとは、さなぶりのとき。1年でもっともよい季節だ。

生家は農業をやめているのだが、笹だんごと田植えは、さなぶりということばを介して、こちらのイメージとしてはまだ一体である。

さなぶり、漢字で書くと、早苗饗となる。田植えを終えたあとの農家の祝宴をいう。収穫の秋とはまたちがった、仕事をやり終えたあとの充実感がある。

もともとは、田の神が、田植えを終えて帰るのを送る祭りだった。農事はことごとく、神とともにおこなわれた。

まだ、たよりなげな苗が、風にゆらいでいる。そんな、ふるさとの田園が目に浮ぶ。

ふる里の早苗饗すぎし田風かな 皆川白陀

田植えも稲刈りもほんのまねごとしか知らないが、どちらも、それなりの技術を要する。苗は、深く植えてはいけない。いまは機械だから、そんな知識など無用になったが。

もっとも、手植えが完全に消えたわけではない。機械のはいらない、大きな階段のような棚田(たなだ)もある。大都会のビルの屋上に水田をつくって、田植えをしていたのをテレビでみたこともある。皇居では、陛下みずから田植えをされておられる。

きょう、『正論』7月号発売。「中国“遺棄化学兵器”スクープ第2弾」が波紋を投じるであろう。「日本のカネで処理される“70万発”の大ウソ」(水間政憲)にご注目を。

<きょう・あす・あさって>

昭和61年(1986年)6月1日 上野動物園のパンダ、ホアンホアンが出産。20年前。

平成3年(1991年)6月3日 雲仙普賢岳で火砕流。警察官、消防団員、報道関係者など37人死亡。あれから15年。

(6月1日のアクセス数1660件)

〔フォトタイム〕

小石川植物園その10

鉢植えのサクラソウ。植物園では、薬草はもちろん、野草も大切に育てられています。今回で小石川植物園はおしまいで、次回からは旧古河庭園を紹介します。

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6月 1, 2006 B 大島月刊編集長のひとことメモ | | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年5月31日 (水)

盗む

けさの産経新聞によれば、警視庁の公安2課長が万引きをして辞職したという。「レジ近くに店員がいなかったため、魔が差した」と話しているとか。これがはじめてだったのか。

昨夜のNHK「ニュースウオッチ9」に、盗作騒動の渦中にある洋画家の和田義彦氏(66)が登場して、しきりに弁明していた。

ことし春の芸術選奨の美術部門で文部科学大臣賞を受賞した和田氏、NHKの取材に対して、自信たっぷり、「盗作ではありません」と答えていた。しかし、素人目にも、あれはパクリそのもの。

芸術選奨の受賞理由となった和田氏の回顧展「ドラマとポエジーの画家 和田義彦展」の出典作のなかに、スギ氏の作品と酷似したものがある。白黒をはっきりさせないと、文化庁の見識が問われることになる。

マネされたローマ在住の画家、アルベルト・スギ氏(77)もNHKの取材に応じて、和田氏の行為を非難。

画壇における模倣は、それこそ日常茶飯事の事柄だが、こんどばかりは、見過ごすわけにはいかない。世界が成り行きを注視している。

あす、『正論』7月号発売。目玉は、なんといっても共産党のナンバー4だった筆坂秀世氏と外務省のラスプーチン佐藤優氏の特別対談。ぜひ、お読み下さい。

お知らせがございます。6月2日午後5時から産経新聞グループの産経デジタルで新ポータルサイト「iza」がスタートします。ここで多数の記者が参加する、記者ブログがオープンします。当ブログも参入することになりました。当初は、スムーズにいかない点もあるかとは思いますが、よろしくお願い申し上げます。

<きょう・あす・あさって>

昭和61年(1986年)6月1日 上野動物園のパンダ、ホアンホアンが出産。20年前。

(5月31日のアクセス数1763件)

〔フォトタイム〕

小石川植物園その9

園内の一角に関東大震災記念碑をみつけました。植物園の総面積は161588平方キロ㍍(48880坪)。都心に近いところに、これだけの土地を研究施設にしている。もったいない、と思う人もいるでしょうね。でも、この関東大震災記念碑の説明文を読みますと、なるほど、イザというときを考えれば、こういう広大な場所が大都市には必要なのだ、と思うようになる人も出てくるはず。大正12年(1923年)9月1日の大震災の際、約3万人の住民が植物園に避難しました。さいごの居住者が退去したのは、同14年1月。その間、植物園は、避難所としての役割を立派に果たし、お世話になった有志が、この記念碑をたてました。

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5月 31, 2006 B 大島月刊編集長のひとことメモ | | コメント (4) | トラックバック (2)

2006年5月30日 (火)

世界遺産が危ない

「世界遺産が危ない」という表紙のコピーが目にとまって、『ニューズウイーク日本版』5月31日号を買ってきました。

記事によれば、昨年は全世界で8億600万人が旅に出たとか。世界的な観光ブームというのは、航空運賃が格安になったからでしょう。おかげで、秘境がほとんどなくなってしまいました。

年間、100万人もの観光客が訪れる秘境なんて、冗談にもなりません。でも、賑わう秘境が、ふたたび、だれも立ち寄らない本来の秘境に戻ったとき、これら文化遺産ははたして維持されるのでしょうか。

世界遺産の大半は観光ブームで痛めつけられている半面、観光収入でかろうじて保護されてもいます。そこらが、なやましいところですね。むしろ問題は、記事も指摘しているように、気象の変化や内戦、産業廃棄物、乱開発のほうだと思います。

同誌の特集に、「消えゆく世界の7大スポット」というがあります。古代都市から美しい海岸まで、人類の貴重な財産である世界の名所7か所が存続の危機にあるというのです。気になる記事なので、以下に引用します。

    王家が治めた古代都市ルクソール(エジプト)は、アスワンハイダムがもたらす塩害で神殿の土台が侵食されている。

    万里の長城(中国)は、全長約6000キロのうち、3分の2が風化や商業主義でむしばまれている。

    水の都ベネチア(イタリア)は、1世紀に10センチのペースで沈下。水没の危機にあるが、当局は財政難で対策がとれていない。

    海に沈む楽園モルディブ。国土の約8割が海抜1㍍以下にあるため、地球温暖化による海面上昇が深刻な脅威となっている。

    インカ遺跡マチュピチュ(ペルー)に地滑りの危機。石の土台は観光客に踏みしだかれて磨耗し、さらに近隣地の開発で地滑り問題が悪化。

    バビロン(イラク)は悲惨な運命に。空中庭園で名高いメソポタミアの古代都市は、20世紀初頭に発見されて以来、盗掘や破壊の標的になってきた。

    コーラル・トライアングルの生息環境。インドネシア、フィリピン、ソロモン諸島などに広がる海域には3000種を超えるサカナと600種のサンゴが生息。だが、毒物や爆発物を使う漁法と乱獲でサカナは激減。海温上昇でサンゴ礁もピンチに。

7か所のうち、ルクソール、万里の長城、ベネチアはみてきました。そのなかで、いちばん心配なのは、ベネチアですね。

わたしが訪れたときも、1㍍近い高潮で、ベネチアは街中が水浸し。ちょっと恐怖を感じました。海面が、ひたひたと道路をぬらしていく光景は、ほんと不気味でした。

<きょう・あす・あさって>

昭和61年(1986年)6月1日 上野動物園のパンダ、ホアンホアンが出産。20年前。

(5月30日のアクセス数1539件)

〔フォトタイム〕

小石川植物園その8

精子発見のイチョウ。植物園のパンフレットを参考にしながら説明しますと、明治29年(1896年)、平瀬作五郎という植物学者がこの雌のイチョウの木から採取した若い種子で精子を発見しました。「それまで種子植物は、すべて花粉管が伸長し、造卵器に達して受精するものと思われていたので、この発見は世界の学界に大きな反響を起こした」とか。昭和31年(1956年)、精子発見60周年を記念して、木の根元に石碑が建てられました。そうしますと、ことしは、精子発見110周年ということになりますね。

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5月 30, 2006 B 大島月刊編集長のひとことメモ | | コメント (6) | トラックバック (8)

2006年5月29日 (月)

ブラジルの魔術師

昨夜のNHKスペシャルはよかったですね。きょう、あすとつづくドイツW杯の3回シリーズの1回目が、ブラジルの魔術師、ロナウジーニョ。生い立ちから、現在の私生活まで、丁寧に取材していました。

さすがNHK。世界のスーパースターに、あれだけ肉薄するのは至難の業。えらい!(批判もするけれど、ほめるときはべたぼめします)。

ロナウジーニョは、魔術師とか、芸術家とかいわれていますが、あの人は哲学者ですね。ご本人もいってましたけれど、サッカー王国ブラジルで、プロのサッカー選手になるのは、たいへんなこと。ましてや、W杯の代表選手になれるのは、天才のみ。

ところがブラジルには、この天才がウヨウヨしています。天才だけでは頭角をあらわせない。天分プラス努力。やっぱり、決め手は、努力ですよ。

ロナウジーニョは、こどものときから、犬を相手にボールをあやつる練習をかさねていました。犬にボールをとられれば、大切なボールは食いちぎられるかもしれない。だから、たわむれのボール遊びではなく、いつも真剣勝負であったと思います。犬をあいての練習は、いまも自宅の庭でつづけています。

「たかがサッカーというなかれ、サッカーは芸術だ」、とロナウジーニョ。芸術とは、予測不能にして不可解なるもの。そんな恐ろしい芸術家選手を擁するブラジルチームと日本は6月23日、1次リーグ最終戦で戦います。

(5月29日のアクセス数1714件)

〔フォトタイム〕

小石川植物園その7

日本庭園のそばに旧東京医学校本館があります。明治9年(1876年)の建築で、東大で現存する最も古い建物。国の重要文化財に指定されています。昭和44年(1969年)にここへ移されました。

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5月 29, 2006 B 大島月刊編集長のひとことメモ | | コメント (5) | トラックバック (5)

2006年5月28日 (日)

永井荷風の金銭哲学

のんびりした日曜。『永井荷風 ひとり暮らしの贅沢』(永井永光・水野恵美子・坂本真典著)という本をぱらぱらとめくっている。新潮社の「とんぼの本」シリーズの最新刊。幻の春本、『ぬれずろ草紙』の抜粋が掲載されている。

この本で、荷風の金銭哲学をはじめて知った。以下、本を参考に書いていくが、戦前、荷風は資産家の父親が遺した莫大な遺産をひとりで相続。その遺産の元金には一切、手をつけず、利子や配当を生活費や遊興費にしていたという。

洋行帰りの、慶応大学教授で文筆家。華やかな経歴とはうらはらに、荷風の日常生活は、うら寂しいというイメージがある。

ひとり身の間借り暮らし。よれよれの服装。下駄のまま、平気で畳の部屋を歩く無頓着さ。戦後の荷風はその通りなのだが、戦前の荷風像が浮んでこない。すくなくとも、金持ちの坊ちゃんふうだったとは思えない。

平成のいま、もしかしたら豪邸に住む金持ちが、新宿で気ままなホームレス生活をたのしんでいるかもしれない。戦前の荷風にも、そんな一面があったのだろうか。

荷風は、フランスの画家、ロートレックのごとく花柳界を愛し、創作に没頭した。それができたのは、自分にお金があるからだと、荷風は思っていたそうだ。したがって、金のない者は、花柳界はもちろん、小説書きなどになってもいけない、というのが、かれの人生哲学だったらしい。

戦前の荷風は金持ちだったが、日常生活は質素で、節約家だった。むだな買い物はしなかったし、必要がなければ、お茶いっぱい、ひとにおごることもなかったという。

この本によれば、大正3年((1914年)、雑誌『文章世界』の「趣味と好尚」アンケートで、「好きな時代――物価安き時」、「一番不幸に思うことーー銭のないこと」と答えているとか。

戦後、経済状況は一変し、荷風の家計はピンチを迎える。67歳になって生活のために働く覚悟をかためたという。出費をへらした。家の電球はたった1個。夜、来客があると、奥座敷の電気を消して、玄関の電燈に代えたとか。

それでも荷風なりの金銭哲学と美学があったと、この本の著者は書いている。荷風は単なるケチではなく、これぞというものには、惜しげもなく金を使ったというわけだ。

わたしは読んでないが、小門勝二『荷風散人傳巻二モーパッサン先生』(私家版)に、荷風の考え方がでているそうだ。又聞きで申し訳ないけれど、荷風らしさが感じられるので紹介したい。

荷風が毎朝飲んでいたインスタントコーヒーは、当時は、高級品だったが、タンスと同じ値段でも買うというのが、荷風の考え。裏返していえば、「いくら安いタンスがあっても、自分には必要がないので買わない」というのが、荷風流であったようだ。

〔フォトタイム〕

小石川植物園その6

植物園には、江戸時代の代表的な日本庭園のひとつがあります。東京に長く住んでいても、この庭園を知る人は少ないはず。徳川5代将軍、綱吉が幼少時にすごした白山御殿と蜷川能登守の屋敷跡にのこされていた庭園の往時の姿をとどめているといわれています。

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5月 28, 2006 B 大島月刊編集長のひとことメモ | | コメント (1) | トラックバック (6)

2006年5月27日 (土)

「ダ・ヴィンチ・コード」

映画「ダ・ヴィンチ・コード」を観てきました。切符売り場に行列ができて、入場するまで30分も並びましたが、見所もそれなりにあって、まあまあ満足して帰ってきました。

いささか露出過多の「ダ・ヴィンチ・コード」ですが、映画館へ行くもよし、DVDが出るまで待つもよし。原作を読むもよし、読まずともよし。もちろん、映画も原作も、無視するもよし。

原作を読んでから映画を観るか、それとも映画を先にするか。「ダ・ヴィンチ・コード」は推理小説ですから、常識的には原作が先でしょう。映画は内容をはしょっているので、すんなりとはいかない部分もあると思います。とはいっても、ストーリーはさほど複雑ではありません。

ルーブル美術館で起きた館長殺人事件からはじまり、同美術館のガラスのピラミッドをラストシーンに幕が下ります。閉館したあとのルーブル美術館で実際に撮影しています。これが、第1の見所。ルーブル美術館の協力がなければ、この映画は成功しなかったと思います。

なるべく映画を観る前に、パンフレットを買って読むようにしています。撮影の苦労話や内容のポイントがわかって、だらだらと眺めてしまいがちな映画鑑賞にメリハリをつけてくれます。

「ダ・ヴィンチ・コード」は原作を読んでいますが、きょうもパンフレットにずいぶん助けられました。

トム・ハンクス演じる主人公のハーバード大学教授が泊まっているのは、ホテル・リッツ・パリの512号室。映画の本筋には関係のない事柄でも、知って損になりません。ダイアナ妃が、さいごに泊まった高級ホテルですね。

ただ漫然とスクリーンに映し出されたホテルの部屋の様子を観ているのと、ホテル・リッツとわかっているのでは、見る眼もちがってきます(もっとも、リッツ512号室の調度品だけをスタジオに運んで撮影したと知ると、いささか興ざめではありますが)。

後半に、ロンドンのウェストミンスター寺院の外観がでてきます。ついで教会の内部が映し出されます。ニュートンの墓の前。重要な場面ですね。

ほう、あのお堅いウェストミンスター寺院も、ルーブル美術館同様、内部の撮影を許可したのか。そう思う人もいるにちがいありませんが、撮影は許可されませんでした。ロンドンから230キロほど離れたところにある、リンカーン大聖堂がロケ地です。

「ローマの休日」は、ご存じのようにローマの名所が出てきて、映画にいろどりをそえています。「ダ・ヴィンチ・コード」も、謎解きにくわえて、舞台の背景がたのしみな映画となっています。冒頭で、「見所もそれなりにあって」といったのは、名所旧跡の意味も含んでのことです。

そうですね、パリやロンドンが好きな方は、ご覧になったほうがよいと思います

(5月27日のアクセス数1140件)

〔フォトタイム〕

小石川植物園その5

これはシダ園です。日本は、なんと世界に冠たるシダ王国なんだそうです。地球上に1万種のシダがあって、そのうち630種が日本に分布しているとか。北米400種、ヨーロッパ140種といいますから、たしかに日本はシダが好む湿潤な国なんですね。

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5月 27, 2006 B 大島月刊編集長のひとことメモ | | コメント (4) | トラックバック (5)

2006年5月26日 (金)

偶然

きのうの「イワシ」に寄せられたコメント、面白く拝見しました。世界中から発信されていますので、海外生活の方々のひと味ちがった感想もわかって、なかなかブログというのはいいですね。

このサカナの表記も、イワシのほかに鰯と、いわしがありました。日本語というのは、じつに奥が深い。鰯を分解すれば、弱い魚。文字通りイワシは、か弱いサカナで、だから大量に群れているのかな。

きのう、「このところイワシをたべていません」と書きましたが、ウソでした。コメントに寿司の話が出ていたので思い出しました。先月、回転寿司で、イワシを口にしたのを忘れていました。

月に1度、昼に寿司をつまみたくなるときがあります。きのうの昼がそうでした。そして夜の立食パーティーで、テーブルにあったのは、寿司でした。

どういうことなのでしょうか、半年に1回くらいしか、昼にカレーをたべないのに、その日にかぎって、自宅の夕食もカレー料理だったとか。途方もない確率なのですが、実際にあるんですよね。

通勤電車のなかで読んでいるのが、いまだにドストエフスキー。おとといからは、原卓也訳『賭博者』(新潮文庫)です。ご存じのようにドストエフスキー自身、ルーレットにのめりこんでいました。

ルーレットは偶然の数字を当てるゲームといえますが、この本でドストエフスキーは、偶然のチャンスの流れのなかに、ひとつの体系とこそいわないが、なにか一種の順序のようなものがある、と書いています。

偶然のようにみえて、偶然ではない。世の中には、摩訶不思議な法則性でもあるのでしょうか。

(5月26日のアクセス数1604件)

〔フォトタイム〕

小石川植物園その4

小石川植物園の目玉は、このハンカチノキ。自生地は、中国の中部から西南部にかぎられています。ハンカチのような花(ほんとうは花ではなく花序という)が4月中旬ごろから咲きます。中国では鳩子樹というそうです。

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5月 26, 2006 B 大島月刊編集長のひとことメモ | | コメント (7) | トラックバック (3)

2006年5月25日 (木)

イワシ

あさのテレビ朝日「スーパーモーニング」。イワシの高値を報じていた。きのうの朝日新聞朝刊をもとに取材をはじめたのでしょう。

朝日の記事によると、先日、築地の中央卸売市場で特大イワシが、1匹あたりに換算すると、約1150円で取引されたとか。

イワシというのは、大衆のサカナとばかり思っていたが、いまや大型のマイワシは高級料理店でしか、おめにかかれないらしい。

そういえば、このところイワシをたべていませんでした。ここ10年で太平洋のマイワシは、10分の1に減っているそうです。

なにか環境の変化でも、あったのだろうか。温暖化で、海水の温度があがっているのが影響しているのかもしれません。

イワシは群れをなしていますので、マグロ、カツオ、タイなどの格好のエサになっています。豪快なカツオの1本釣りのエサも、イワシが使われているようですね。クジラや海鳥類もイワシを好物としています。

ということは、イワシの減少は、ほかの水生動物の食生活をおびやかしていることを意味します。たかがイワシというなかれ、これは大きな問題ですね。

イワシの加工品に煮干があります。おやつなど、あまりなかった田舎のこどもの頃、よく煮干をかじった思い出があります。クジラについでイワシも食卓から消え、少年時代のふるさとがまた遠くにかすんでしまいそうです。

(5月25日のアクセス数1329件)

〔フォトタイム〕

小石川植物園その3

アヤメ科のジャーマンアイリスです。撮影は5月9日ですので、もう咲いていないでしょう。

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5月 25, 2006 B 大島月刊編集長のひとことメモ | | コメント (10) | トラックバック (5)

2006年5月24日 (水)

お祭り

「わたしも、こどものころは、秋のお祭り近くになると、待ち遠しくてたまらないものでした。田舎ゆえ、小さい頃は、お神輿など知りませんでしたが、お赤飯やご馳走が食卓に並び、華やいだ気持ちになったものです。そんなこども時代のあるとき、少し離れた町のお祭りに連れて行ってもらって、驚いた記憶がよみがえってきました。お神輿が街中を練り歩く様子を見て、こんな世界があったのだと。情報の発達していない時代は、経験を積んで成長していったんですね」(5月

23日、さつき)

同じ経験をしました。たなばたの7月7日、新潟県北端の村上市は祭一色でにぎわいます。わたしは、高校の3年間、生家を離れ、この町に下宿して通学しました。大先輩に稲葉修さん(故人、田中角栄逮捕時の法相)がいます。

徳川親藩の城下町である村上には、戦後も士族の家と町民の家の区別があきらかに残っていました。祭りはまさに町民のものであり、その勇壮さに、山奥からでてきたわたしは驚きと羨望を感じ、いまだにそのコンプレックスから抜けきれないことは、先日、お話したとおりです。

何度も書いたことですが、後年、劇団四季の浅利慶太さんから、地方で巡業するとき、城下町と天領では、観客の入りがまったくちがう、と聞かされ、さもありなんと、納得したものです。

城下町は自立するため、活性化の方策をいつも考えていました。教育にも熱心でした。凛としたサムライが、教養人のサンプルとして、町民の生き方に影響を与えていたはずです。

士族と町民の競い合いは、文化に昇華されて、花開いていました。そのなかで、年に一度の祭は、町人文化の華であり、各町内会が威勢を競って、山車(だし)をひいたのでした。

城外にうまれた者は、指をくわえて、みているほかはありませんでした。

<きょう・あす・あさって>

5月24 とげぬき地蔵尊大祭(巣鴨・高岩寺)。

昭和31年(1956年)5月24 売春防止法公布。50年前。施行は翌32年4月1日からでした。

(5月24日のアクセス数1419件)

〔フォトタイム〕

小石川植物園その2

小石川植物園のルーツは、約300年前に徳川幕府がもうけた小石川御薬園にあります。100年前に東大の施設になりました。日本の植物学研究のメッカといってよいでしょう。明治30年(1897年)から昭和10年(1935年)まで、東大理学部植物学教室はここにありました。

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5月 24, 2006 B 大島月刊編集長のひとことメモ | | コメント (1) | トラックバック (3)

2006年5月23日 (火)

無慈悲

秋田県藤里町。県警本部長が小学1年生の殺害現場を視察。現場に立つ。これはトヨタのトップの経営哲学でもある。

その1か月前に水死体でみつかった2軒隣の少女。事故ではなく、事件の可能性大。町民の不安は推して知るべし。自家用車でこどもを送り迎えする町民。

佐賀県唐津市。小学5年生をひき逃げした、53歳の土木作業員を指名手配。被害者はまだ意識が朦朧とした状態。それにしても病院に運ばず、捨て去るとは。

海外を旅していて、しばしば物乞いするこどもたちに出会うことがある。そのたびに、日本のこどもたちのしあわせを思ったものだが。

日本でも、終戦直後の混乱期には、同じような光景がみられた。貧乏人の子だくさん。こどもはありあまるほどいて、それほど大切にもされなかった。

しかしながら、こどもたちが弊履(へいり)の如く捨てられたり、殺されたりすることはなかった。

当節のこどもは、プラチナのような存在である。にもかかわらず、あっけらかんと無慈悲に、こどもたちの命が奪われている。

<きょう・あす・あさって>

5月24日 とげぬき地蔵尊大祭(巣鴨・高岩寺)。

昭和31年(1956年)5月24日 売春防止法公布。50年前。施行は翌32年4月1日からでした。

(5月23日のアクセス数1540件)

〔フォトタイム〕

小石川植物園その1

小石川植物園は、正式には東京大学大学院理学系研究科附属植物園といいます。東大の研究施設ですが、一般に公開されています。敷地面積161588平方㍍。約4000種の植物が栽培されています。文京区白山3丁目。都営地下鉄三田線の白山駅下車、徒歩7,8分のところにあります。

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5月 23, 2006 B 大島月刊編集長のひとことメモ | | コメント (6) | トラックバック (3)

2006年5月22日 (月)

三社祭

きのう、浅草の三社祭(さんじゃまつり)をみにいってきました。伝法院通りの近くに着いたのが午後3時。消防車がズラリと並んでいました。さいわいボヤで消し止めたようですが、祭に火事というのは、刺激が強すぎますよね。

で、1時間半ばかりいて引き揚げたのですが、地下鉄の浅草駅に向って歩いていましたら、救急車が走ってきました。10年ぶりの三社祭でしたが、あいかわらずエキサイティングなフェスティバルでした。

帰宅して編集後記を書きました。題材は三社祭。6月1日発売の『正論』7月号でご覧ください(書店での立ち読みOK)。

編集後記にはふれませんでしたが、じつは、みこしコンプレックスというのが、わたしにはあります。みこしをかついでいる人たちをみると、ほんとうに羨ましい。

きのうも、着いてすぐに、浅草寺の本堂へむかうこどもたちのみこしに出会いました。ああ、自分には、みこしをかつぐ機会が、生涯にわたって一度も訪れなかった、と思うと、目がかすんできました。

みこしをひく浅草のこどもたちの晴れがましさ。ほんとは、こういうところで生れたかった。新潟よ、さらば。

いやいや、田舎には、田舎のよさがある。こどもたちの親の一部は、きっと田舎育ちなのだろう。かれらは夏、おばあちゃんのところへ遊びに行って、田舎暮らしを羨ましがって東京へ戻ってくるにちがいない。

浅草の雑踏のなかで、たわいもないことを考えていました。

<きょう・あす・あさって>

5月24日 とげぬき地蔵尊大祭(巣鴨・高岩寺)。

昭和21年(1946年)5月22日 第1次吉田内閣成立。60年前。

昭和31年(1956年)5月24日 売春防止法公布。50年前。施行は翌32年4月1日からでした。

(5月22日のアクセス数1503件)

〔フォトタイム〕

彫刻園その2

井の頭自然文化園本園の雑木林。そこに点在する北村西望の彫刻群。こもれびをうけた彫刻が、なんともいえない風情をかもしだしていました。北村は明治17年(1884年)に長崎県で生まれ、昭和62年(1987年)に亡くなりました。102歳という長寿で、作品にも力強さが満ち溢れています。

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5月 22, 2006 B 大島月刊編集長のひとことメモ | | コメント (6) | トラックバック (0)

2006年5月21日 (日)

雑草

いい天気です。ひさしぶりに庭へでて、水をまいてきました。雑草がのびています。以前なら、抜いていたところですが、いまはあまり気になりません。

野草というのは、かわいいものです。野性の美、というじゃありませんか。

皇居東御苑の二の丸跡に、雑木林があります。昭和天皇のご発意により、武蔵野の面影をもつ樹林として整備されました。

雑草を大切にされた昭和天皇のご遺志をうけて、樹木や野草ができるだけ、あるがままに育てられています。もちろん、植物だけでなく、鳥も、昆虫も、生きとし生けるものが、都心とはおもえない、自然の森のなかでそれぞれの生を享受しています。

東京という世界に冠たる大都会に、こういう静寂な、自然の営みの場のあることを大いに誇りとしていいと思います。

東御苑には、外国人がたくさん来ています。日本人よりも、外国人のほうが、東京のみどころをよく知っているようですね。

ときには、皇居で雑草にふれる。そんなのびやかな、東御苑の散策をおすすめします。風情があっていいと思います(月曜と金曜が休みなので、ご注意下さい)。

<きょう・あす・あさって>

5月21日 三社祭。

昭和21年(1946年)5月22日 第1次吉田内閣成立。60年前。

(5月21日のアクセス数1010件)

〔フォトタイム〕

彫刻園その1

ずいぶん回り道をしましたが、ようやくお目当ての彫刻園にたどりつきました。井の頭自然文化園本園には、文化勲章受賞の彫刻家、北村西望の作品が多数、展示されています。北村西望といえば、長崎の平和祈念像がよく知られていますね。彫刻園には、その原型とそれを制作したアトリエ館があります。多くの作品が都に寄贈され、そのうちの38点が野外に展示されています。ここで紹介している作品は、屋外展示作品のなかの、巨大な「加藤清正公」像と、有名な「将軍の孫」です。

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5月 21, 2006 B 大島月刊編集長のひとことメモ | | コメント (5) | トラックバック (0)

2006年5月20日 (土)

俳句

第3土曜は午前10時から俳句の会。あと1時間しかないのですが、俳句が思うようにつくれません。ひと月に1回の会なのに、句作はいつも当日のあさだけ。これでは上達するわけがない。

角川書店の『俳句歳時記』をそばにおいて、ようやく2句つくりました。まだ、先生にもおみせしていないのに、臆面もなく、披露します。

ハマナスや東御苑の晴れ姿

皇居東御苑の大広場の片隅に、ハマナスをみつけました。海辺のハマナスが、大都会のど真ん中、皇居というヒノキ舞台で見事な花を咲かせていました。ちなみに、ハマナスは、雅子さまのお印とうかがっております。

道端にわるびれもせずケシの花

アヘン、モルヒネがとれるケシは、許可がなければ栽培できません。それが路傍に堂々と咲いていました。禁断の園から、風に乗って、やってきたのでしょう。ひかげものなのに、派手な花びらで目だっていました。

今晩9時からのフジテレビ「天才ダビンチ最大の謎と秘密の暗号」、面白そうですね。

<きょう・あす・あさって>

5月20日 映画「ダ・ヴィンチ・コード」世界同時公開。

5月20日 三社祭(浅草神社)

5月21日 三社祭(浅草神社)

昭和31年(1956年)5月20日 アメリカ、ビキニ島で水爆実験。50年前。

昭和21年(1946年)5月22日 第1次吉田内閣成立。60年前。

(5月20日のアクセス数1171件)

〔フォトタイム〕

童心居

井の頭自然文化園本園。野口雨情(詩人)の書斎を移築したもので、「童心居」と名づけられています。いまは有料の貸室になっているようですね。小さな日本庭園があって、みごとな多重塔もありました。

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5月 20, 2006 B 大島月刊編集長のひとことメモ | | コメント (4) | トラックバック (3)

2006年5月19日 (金)

チッソ

「財団法人朝鮮教育財団のことがでておりましたので、是非、一言発言させてください。この財団は、株式会社チッソの創立者、野口遵が私財を寄付し、1940年に設立されました。チッソといえば、水俣病だけで有名になっておりますが、鴨緑江の水豊ダム(この電源開発総体の規模はアメリカのTVAに指摘する)建設、朝鮮送電など、日露戦争以降、ロシアとの宿命的な不安を抱える地雷原のような北部朝鮮で、渾身の力をふるって電源開発に賭けた企業です。 この財団法人に、朝鮮に人生を賭けた明治の人野口の夢の跡をみることが出来ます。 そして現在も、在日韓国、朝鮮人学生奨学金を与える活動をしています。このことに日本人としての誇りを感じます」(5月18日後藤孝典 

そういう背景があったのですか。勉強不足でした。ご教示に感謝します。もっと世間に広めたい話ですね。

先日、チッソから電話がありました。チッソからなんだろうと、一瞬、クビをかしげました。用件は、『正論』5月号のグラビア「北に遺した東洋一の工場」にかんすることでした。

戦前、朝鮮北部(北朝鮮)に日本窒素(旧朝鮮窒素)興南工場がありました。敷地約600万坪。約45000人の従業員が働いていました。

グラビアは、北沢玉枝さん(90歳)が持っていた、興南工場とその周辺の写真で構成されていました(玉枝さんの亡くなった夫は、この工場の技術者でした)。

チッソの社史編集の担当者によれば、当時の写真はほとんどなく、これはとても貴重なものだそうです。

ちなみに興南工場は、いまも「興南肥料連合企業所」として稼動しているとか。

そこに後藤さんから届いた、チッソ創業者の善行を伝えるコメント。なんだか、急にチッソという会社が、身近に感じられるようになってきました。

<きょう・あす・あさって>

5月19 三社祭(浅草神社)

5月20 映画「ダ・ヴィンチ・コード」世界同時公開。

5月20 三社祭(浅草神社)

5月21 三社祭(浅草神社)

平成3年(1991年)5月19雲仙普賢岳、噴火。15年前。

平成8年(1996年)5月19 北条秀司、死去。享年93歳。没後10年。

昭和31年(1956年)5月20 アメリカ、ビキニ島で水爆実験。50年前。

(5月19日のアクセス数1873件)

〔フォトタイム〕

しゃくなげ園

井の頭自然文化園本園のしゃくなげ園。これは5月初旬の撮影です。まだ咲いているかどうか、わかりません。

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5月 19, 2006 B 大島月刊編集長のひとことメモ | | コメント (2) | トラックバック (5)

2006年5月18日 (木)

呉越同舟

民団と総連の和解。組織と組織の関係ですから、一筋縄ではいきません。さまざまな思惑があり、これからも、せめぎあいがあると思われます。こんごの成り行きをみていくことにしましょう。

もう16年近く前の平成2年(1990年)晩秋、都内のレストランで、朝鮮半島の南と北の人と呉越同舟で懇談したことがあります。ああいうこともあったなあ、と懐かしく思い出しました。

現在も同じところにあるかもしれませんが、新宿に朝鮮奨学会がありました。この会は、新宿駅西口に9階建てのビルを所有していて、そのテナント料を奨学金の資金にあて、南であれ、北であれ、差別せずに、日本に留学する学生の勉学をサポートしている財団法人でした。

すでに開設から40年以上も経っていて、奨学生の数は1万人を超え、朝鮮半島、あるいは世界各地で活躍していると聞きました。その後、相当の奨学生が巣立っていったと思われます。奨学生たちは、ずいぶん助かったでしょう。返済は不要でした。

奨学会のスタッフは、南と北で半々。世界広しといえども、南北の人たちが手をたずさえて同じ職場で働いているのは、ここだけにちがいないと、感心したものです。

わたしのイトコが、韓国側の代表であった許雲龍さんと知り合いでした。その関係で、北朝鮮側の代表であった朴喜徳さんをまじえて会食する機会があったのです。南北の代表は、同じ部屋に机をならべていました。

あのときは、なごやかに会話がすすみ、南北のきびしい対立関係などウソのような雰囲気でした。国と国、組織と組織のとげとげしい関係も、個と個の関係になれば、とたんにとけあうものですね。

それにしても、と思うのは、たくさんの留学生たちが半島に戻って、日本をどのように紹介しているのでしょうか。日本側が出費していない朝鮮奨学会の留学生の場合はどうなのでしょうか。

<きょう・あす・あさって>

5月19日 三社祭(浅草神社)

5月20 映画「ダ・ヴィンチ・コード」世界同時公開(一応、原作は読みました。たしかに面白い見方だと思いました)。

5月20 三社祭(浅草神社)

5月21 三社祭(浅草神社)

平成3年(1991)5月19  雲仙普賢岳、噴火。15年前。

平成8年(1996)5月19  北条秀司、死去。享年93歳。没後10年。

昭和21(1946)5月19  皇居前広場で飯米獲得人民大会ひらかれ、プラカード事件おきる。60年前。

昭和31(1956)5月20  アメリカ、ビキニ島で水爆実験。50年前。

(5月18日のアクセス数1828件)

〔フォトタイム〕

井の頭自然文化園本園

武蔵野の面影を残す本園の面積は82500平方㍍。動物園、植物園、水鳥舎、遊園地、熱帯鳥温室など、こどももおとなもたのしめる公園になっています。

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5月 18, 2006 B 大島月刊編集長のひとことメモ | | コメント (3) | トラックバック (2)

2006年5月17日 (水)

無口

民団と総連、きょう、和解。どういう地殻変動が起きているのだろうか。

昨夜、有楽町の外人記者クラブのレストランでひらかれたテリー伊藤氏(演出家)のトークを聴いてきました。韓国とは、無理して仲良くすることもない、と語っていました。

派手な帽子に黒メガネ。個性的ないでたちでしゃべりまくるテリー伊藤氏ですが、ご本人の弁によれば、ふだんはいたって無口とか。

舞台を離れた三木のり平も、ほとんど口をきかなかったそうですね。

外面(そとづら)と内面(うちづら)が、極端にちがうタレントは、けっこう多いのではないでしょうか。テリー伊藤氏は、タモリやビートたけしもふだんは口数が少ないはず、と話していました。

漫才夫婦の日常生活は、どうなんだろう。だんまりの、いたって静かな生活なのか。

帰りの電車で、野地秩嘉著『芸能ビジネスを創った男――渡辺プロとその時代』(新潮社)を読みました。

史上最大のタレント王国を率いた渡辺晋氏。本によれば、この人も無口だったようです。それでいてヤクザが関係する興行と一切、手を切るなど意志の強いところがありました。

あまり話さない渡辺晋氏にも口癖があった。「まあ、世の中、いろいろあるよ」「君は、それでいいんだ。自然体でいいんだ」で、あとは、あっはっはと笑って、消えていったという。

<きょう・あす・あさって>

5月19日 三社祭(浅草神社)

5月20日 三社祭(浅草神社)

5月21日 三社祭(浅草神社)

平成3年(1991年)5月19雲仙普賢岳、噴火。15年前。

平成8年(1996年)5月19北条秀司、死去。享年93歳。没後10年。

昭和21年(1946年)5月19日 皇居前広場で飯米獲得人民大会ひらかれ、プラカード事件おきる。60年前。

(5月17日のアクセス数1762件)

〔フォトタイム〕

水生物館

井の頭公園に隣接して、井の頭自然文化園という都の有料総合公園があります。本園と分園が、吉祥寺通り(公園通り)をへだててあります。本園には動物や鳥、シャクナゲ園、童心居、彫刻館など。分園には水生物館や水辺の散歩道があります。水生物館は、おもに日本産の淡水生物をあつめ、川の上流から中流までの棲み分けがわかるようになっています。

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5月 17, 2006 B 大島月刊編集長のひとことメモ | | コメント (9) | トラックバック (8)

2006年5月16日 (火)

運、不運

「トップの資質として、後は運でしょう。小泉首相も佐藤首相も、運は持っていたと思います。だから、ある程度までは歴史に名を残す可能性が出てきています。ジーコ氏に運があるかどうかは難しい問題ですが、私はジーコ氏には運はないのではないか、そう思うのです。ジーコ氏は黄金の中盤を率いてWCに出たものの、フォワードに恵まれず、優勝を逃しています。王監督は運を持っています。早実で全国制覇、巨人で優勝、名伯楽に巡り会いホームラン王、巨人で監督が上手くいかずともダイエーに拾われて、WCでも優勝。明らかに運があります。さて、何方が、一番運があるのでしょう」(5月

15日、呂尚)

運、不運。たしかにありますね。W杯代表の人選にしても、ケガに泣いた久保竜彦(横浜M)は不運だったし、サプライズ人事の巻誠一郎(千葉)には運があった。

運、不運というのは、例外はあるにしても、微妙なところで努力と連結しているように思えます。                    

だれだって、できれば、運の強い人とめぐりあいたいと思っている。でも、どのようにして、運の強い人をみつけたらよいのか。強運と思った人が、案外、運のない人かもしれない。出会いもまた、運、不運があって、神のおぼしめしにしたがうしかないのかもしれませんね。

また松野頼三インタビューですが、これでお仕舞いとします。河野一郎を切った佐藤栄作の話のつづきです。

――チャンスが来ても、浮かれちゃいけないですね。

「何でも次を読まないとね。テニスでも受けてればいいと思ったらだめだ。打ったら、つぎにどっちへ来るかみないと、つぎの球は打てない。ビリヤードでも、あと球を考えないで打ったってだめだ。ゴルフもその球が、どこへ落ちるかをみないで打ったって、いいスコアはでない」

――お父さん同様、息子の河野洋平さんもツイテませんね。

「ツイテないね。河野洋平のいちばん大きなチャンスは、村山内閣のあとだった。村山(富市)さんが選挙で負けたときに、河野が総理にならなきゃいけなかった。あのチャンスを逃した」

――たしかに、そうですね。

「下から積み上げてくるときは、一回ぐらい遅れても、つぎになれる。しかし、上になった者が一回遅れると、もうチャンスがこないな。2番矢のときは、一回遅れたって、いつか1番矢になれる。1番矢で遅れると、もう過去になっちまうんだな」

このように松野頼三さんの比喩のうまさには、いつも感心させられました。祖父や父親とちがって河野太郎氏はまだ、3番矢。失敗を恐れることは、ぜんぜん、ないのです。あとは、運次第。

<きょう・あす・あさって>

昭和41年(1966年)5月16日、中国共産党、文化革命小組設置を通達。40年前。

(5月16日のアクセス数1548件)

〔フォトタイム〕

大道芸人

井の頭公園の大道芸人、というのは有名ですね。外国へ行って、大道芸をみかけると、かならずカメラをむけています。動き回る大道芸も好きですが、ツタンカーメンなどに扮して、じっと動かない芸人も嫌いじゃないです。

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5月 16, 2006 B 大島月刊編集長のひとことメモ | | コメント (0) | トラックバック (8)

2006年5月15日 (月)

覚悟

けさの産経新聞によれば、ロシアのプーチン大統領は、「国民に押しつけはしないが、わたしには後継者について自らの考えをいう権利がある」と述べたという。院政というのは、日本独特の用語だが、その形態は古今東西、共通している。

W杯ドイツ大会の日本代表メンバー23人、きょう、発表。テレビは、さながら一国の組閣の発表を報道するがごとき騒ぎ。

先日、自民党の河野太郎衆議院議員が、9月の総裁選への立候補を目指す考えを表明しました。所属する河野グループは、麻生太郎外相を推す方針ですから、河野太郎氏が20人の推薦人を集めるのはムリでしょう。

河野太郎氏の当選の可能性は論外としても、総理大臣の座を狙う河野家3代の悲願が伝わってきます。

祖父・河野一郎、父・洋平はなぜ首相になれなかったのか。松野頼三インタビューを振り返ってみます。

――臨時首相代理が決まるまでの22時間半の空白。いわゆる自民4人組による密議。森喜朗首相の選出に至る経過も批判されました。

「相も変わらず派閥の密事だ。党には機関がある。総務会が最高機関だ。機関に諮(はか)らなきゃいかん。4人組とやらに何の資格もあるもんじゃない」

――まあ人事というのは、密室で決めるものですが。

「密議は許せる。しかし経過は報告しなきゃいけない。それで経過は承認を得なければいけない。それが民主主義の大事なところだ」

――なるほど。

「池田(勇人)さんが倒れて佐藤(栄作)さんに交代するときも、5,6人で約2週間くらい密議した。川島正次郎副総裁、三木武夫幹事長、前尾繁三郎、河野一郎という池田内閣を支えた人たちが密議を重ねた。しかし、なかなか決まらない」

――ええ。

「最後に、池田さんが前尾に、佐藤、といった。自分がいったんじゃ、だめだから、書いてくれ、といって書かせた。そのことを佐藤さんは知らない」

そのあとの話は、記事ふうにして伝えましょう。昭和39年(1964年)10月25日、池田首相は、病気の長期療養のため退陣を表明。それから自民党両院議員総会がひらかれる11月9日まで実力者たちの駆け引きがつづいた。その前夜、川島副総裁らは、佐藤をパレスホテルに呼んで、こう切り出した。

「党内融和のために、あなたがもし総裁になったら、ここにいる河野一郎君を副総裁にしてくれるか。そうすれば、あなたを総裁に推薦してもいい」

そのとき、佐藤は、「党則には、総裁が幹事長、副総裁を指名するとある。いつ党則が変わったのだ。いまの話は、わたしにはわからない。だから承服できない」といって、断った。

深夜の2時、佐藤は帰宅した。佐藤邸には5奉行といわれた橋本登美三郎、保利茂、松野頼三、田中角栄らが待っていた。佐藤は、「じつは、いま、こういう話があった。うんといえば、総裁に決まったが、どうしても承服できない。だから断ってきた。あすは、総裁になれないかもしれない。そうなったとしても、がまんしてくれ」と、かれらに話した。

のちに松野は、「あんな顔面蒼白の佐藤さんは、それまでみたこともなかった」と語っている。11月9日、両院議員総会は後継首班候補を佐藤栄作に決定。佐藤内閣成立。組閣段階で河野一郎は、経済企画庁長官の留任だった。副総裁になるつもりの河野は、「俺は、企画庁長官はもうやりたくないよ」といった。「あ、そうか。それじゃ、ご苦労さん」と佐藤首相は、河野を閣僚にも副総裁にもしなかった。のちに松野は、こう述懐した。

「それが7年8か月におよぶ佐藤内閣の強固な土台なんだ。そこでニンジンに飛びついたら河野一郎副総裁で、おそらく党内は佐藤さんのいう通りにはいかなかったと思う。その磐石の構えというか、覚悟というか、わたしはたいへんな修羅場をみたな」

人事は、静かなる修羅場。ジーコ・ジャパン、当落線上の選手の気持ちやいかに。

<きょう・あす・あさって>

平成3年(1991年)5月15 安倍晋太郎、死去。享年67歳。没後15年。

平成8年(1996年)5月15 高坂正尭、死去。享年62歳。没後10年。

昭和41年(1966年)5月16 中国共産党、文化革命小組設置を通達。40年前。

(5月15日のアクセス数1604件)

〔フォトタイム〕

井の頭公園

この池を正式な呼び方でいえば、都立井の頭恩賜公園井の頭池ということになります。大正時代は、遊泳場になっていたとか。桜の季節は、ボートをこぐ人たちで賑わうそうですね。公園の林のなかで、野鳥を撮影する人をみかけました。

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5月 15, 2006 B 大島月刊編集長のひとことメモ | | コメント (2) | トラックバック (2)

2006年5月14日 (日)

ウソも方便

日本スケート連盟の不祥事。カネになるフィギュアが、一部の幹部によって食いものにされた、ということですか。

村上ファンド、拠点をシンガポールへ。「あれは税金のがれだ」という声も。

512日、衆議院の内閣委員会で自民党の戸井田徹議員が、『正論』6月号で掲載した「スクープ! “遺棄化学兵器”は中国に引き渡されていた」をもとに質問。安倍晋三官房長官が、「しっかり調査をしたい」と答弁したそうです。

松野頼三インタビューのつづきです。当時、小渕恵三首相の病状を発表し、臨時首相代理となった青木幹雄官房長官について、いろいろと取りざたされていました。

――わたしも当初、小渕さんから直接、検査結果によっては、臨時首相代理の任にあたるように、といわれたというけれど、ほんとかな、と思っていました。

「嘘をいっちゃいけない。国事だからね。その通りいえばいいことで、粗忽(そこつ)というか、猿知恵だなと思うんだ」

――だれか、入れ知恵したんでしょう。

「その通りいえば、危機管理がどうだとかの公式論は残っても、官房長官の立場はもっと同情されたと思う。小知恵をだしちゃだめだ」

――気が動転したのかもしれませんが。

「昔、福家(ふけ)俊一という豪快な政治家がいた。昭和31年、三木武吉という大物政治家が、同じ選挙区の自宅で倒れた。福家は、三木先生が息を引き取られました、と伝え聞いて、飛んでいった。で、そのなきがらに抱きついて、号泣した。そのあとで、いま、三木先生から後を頼む、この家(うち)はキミが守ってくれ、といわれたと、そばにいた人たちにいったんだ」

――ほう。

「三木武吉は、2時間前に息を引き取ったんだから、みんな目をシロクロした。それでも、三木先生が生き返って、自分の耳元でそういわれた、と福家はいったんだ(笑い)。どう考えても、そうじゃないと思うけれど、みな黙っていた。とうとうその家は、福家がとった」

――福家さんに会ったことがありますが、声の大きい人でした。

「福家は、財産がほしかったわけじゃない。三木武吉の家をとることによって、その後継者という地位を得たわけだ。わたしは、直接、本人にいったことがある」

「キミ、死んだあとに、おかしいじゃないか」「おかしくない。そういうことはあるんだ。三木武吉先生は、自分に対する強い愛情があった。それで生き返った」と。

「そのとき、遺体のそばには、医師や家族がいたのに平気なもんだ」

――なるほど。「それはちがう」という異論がでないかぎり、黙認ですからね。

「小渕総理の病室には、医師や家族がいた。それなのに青木官房長官の発表を聞くかぎり、立会人がいないんだよ。世間に発表するのに、立会人なしでいっちゃいけない。そのとき医師がおるなら、医師が証明すればいいことなんだ。なぜ、それをいわないんだ。福家の大芝居でも立会人がいる。立会人が、そのことに黙ってしまったから公認になった」

――う~ん。

「これはもっとも大事な国事なんだ。官房長官は、立会人をなぜそこに登場させなかったのか。すべて国事には、立会人か証拠がいるんだ」

残念ながら三木武吉という政治家には、会う機会がありませんでした。遊説先で、「妾を5人ももって」とやじられると、「いや、6人だ」とやりかえした豪傑とか(この数字、確認の要あり。7人だったかな)。

福家俊一のエピソードは、この政治家の性格や処世術からいって、ありそうな話です。

こういう見え透いた虚偽はともかく、仏教でも、ウソは方便といいますよね。どんなに高潔な人でも、生涯で一度や二度はウソをついているはず。やむにやまれないウソというのは、許されているし、それが世の中を円滑にしているときもあると思います。

<きょう・あす・あさって>

昭和21年(1946年)5月14 吉田茂、自由党総裁就任をうける。60年前。

昭和51年(1976年)5月14 衆議院ロッキード問題調査特別委員会設置。30年前。

平成3年(1991年)5月15 安倍晋太郎、死去。享年67歳。没後15年。

平成8年(1996年)5月15 高坂正尭、死去。享年62歳。没後10年。

昭和41年(1966年)5月16 中国共産党、文化革命小組設置を通達。40年前

(5月14日のアクセス数1163件)

〔フォトタイム〕

三鷹の森ジブリ美術館

「風の散歩道」の突き当たりを右に回って、平成13年(2001年)秋に開館したジブリ美術館へ行きました。「となりのトトロ」、「もののけ姫」、「千と千尋の神隠し」で知られる宮崎駿監督の世界を堪能できる美術館だそうです。連休の日でしたので、入場者は予約制。外観だけの見物でした。

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5月 14, 2006 B 大島月刊編集長のひとことメモ | | コメント (6) | トラックバック (3)

2006年5月13日 (土)

父親またはオヤジ

ご存じのように、「叱る」と題した5月11日のエントリーに、つぎのようなコメントが寄せられました。

「先日、小学校4年生の娘が、下校途中に下半身を露出した男に話しかけられながら、付きまわされた。自宅に上がる階段まで」

「わたしの自宅は仕事場の上にあるのだが、嫁がすぐに仕事場に電話してきて、わたしにそのことを告げた」

「わたしは、おそらく血相を変えて自宅に上がり、こどもに、そいつ、どこにおった? と聞いた。こどもは怯(おび)えながら、どこどこ、と答えた。110番しろ、と嫁にいって、すぐわたしは走った」

「こどもがいう場所、下校道路をくまなく探した」

「それらしき男を見つけたら、捕まえる。刃物を持ってようが、捕まえる。許さん。ただの変態ならいい。そういう連中がエスカレートしたのが、昨今の変態凶悪犯罪だ」

「おそらく、わたしの顔が怖かったのだろう。結局、不審な人物を見つけることが出来ず、自宅に戻ると、こどもと嫁が心配そうに近づいてきた。大丈夫やった? と、何故か、わたしの身を案じている」

「パパは大丈夫や。見つけたら、パパが捕まえたるからな、心配すな、と、わたしなりに精一杯、怯えている娘を包んだ」

「わが家では、一応、父親の威厳は保たれていると思う。叱るときは、キオツケで聞かせている」

「ただ、ふんぞり返って父親ぶるつもりはない。大袈裟ないい方かも知れないが、家族を守るためなら命をかける覚悟ができているから、自然とそうなる。父親とは、そういうものだと思っている」(5月12日、ke-go)

感動し、かつ、ご無事でよかったと、胸をなでおろしました。御身大切、なにがなんでも捕まえるという気迫には同意しかねるけれど、命をかけて家族を守る父親の気構えには文句なしにうたれました。それに、しつけのきびしさも。

「叱る」の部分の松野頼三インタビューは、そのあと、こうつづきます。

――いまの派閥の長で叱れる人は、だれもいないと思います。かろうじて小沢一郎さんには、そういう怖さがありました。過去形でいえば。

「たしかにあった。ところがほとんど逃げて行っちゃった。吉田(茂)さんもきびしかった。佐藤(栄作)、池田(勇人)に対してきびしかった。その代わり、何もないやつは、相手にしなかった。吉田さんは、ものをいわない。横をむいて終わりだ」

「派閥というと、いかにも利権集団みたいにみられるけれど、そうじゃない。教育集団だったところに、派閥の価値があった。政治家教育をした」

「福田さんもきびしかった。ふしだらなことが嫌いだった。森(喜朗)総理もその派閥のなかに育った。そういう点で、いまも若い代議士よりも長幼序の礼儀とか、一般的な常識は持っていると思う。そこで福田(赳夫)さんから学んだことを実行するチャンスなんだ、いまは」

――派閥は永田町の寺子屋。

「相撲部屋のようなところがあった。全部が全部とはいわんが、それに近い格好だったね、昔の派閥は」

――稽古量の多い人が、どんどん上にあがる。

「それには、きびしく叱る領袖がいなきゃだめだよ。叱る派閥の長が出てくるとき、日本はほんとうに立ち直ると思う」

派閥の功罪はひとまずおくとして、たしかに政治家のしつけは、国家の存亡にストレートにかかわる要素ですので、そういうしつけの場とか、オヤジと呼ばれるきびしい師匠は必要かもしれないですね。

きのう、TBSから編集部に電話がありました。あすの(ということは、きょうの夜10時からですけど)「ブロードキャスター」で松野インタビューを紹介したいので、掲載誌はないかと。喜んで、『正論』平成12年(2000年)6月号をさしあげました。

テレビですから、ほんのひとことの引用でしょう。もっとも、ニュース番組は流動的ですから、ほんとに放映するかどうかはわかりません。

<きょう・あす・あさって>

昭和61年(1986年)5月138日から来日していたイギリスのチャールズ皇太子・ダイアナ妃帰国。あれから、もう20年になりました。この間、ジャーナリスト60人ほどが赤坂の迎賓館に招かれて、ご夫妻と会見しました。いずれ、お話する機会もあるでしょう。

昭和21年(1946年)5月14 吉田茂、自由党総裁就任をうける。60年前。

昭和51年(1976年)5月14 衆議院ロッキード問題調査特別委員会設置。30年前。

平成3年(1991年)5月15 安倍晋太郎、死去。享年67歳。没後15年。

平成8年(1996年)5月15 高坂正尭、死去。享年62歳。没後10年。

(5月13日のアクセス数1280件)

〔フォトタイム〕

山本有三記念館

「風の散歩道」をしばらく行くと、右手に洋館の山本有三記念館があります。山本は、昭和11年(1936年)から進駐軍に接収される昭和21年(1946年)末まで、この家に住んでいました。『路傍の石』を書いたのも、この家でした。記念館の前に、大きな「路傍の石」がありました。この石は、もともと旧中野陸軍電信隊付近にあったものだそうです。

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5月 13, 2006 B 大島月刊編集長のひとことメモ | | コメント (3) | トラックバック (0)

2006年5月12日 (金)

同情は禁物

けさの産経新聞によれば、インターネット検索大手のグーグルは、書籍の中身を検索し、該当個所を閲覧できる書籍検索サービスを日本ではじめるため、参加出版社の募集をはじめたという。

いってみれば、ネットでの立ち読みができるということですね。利用者としては、うれしい話ですが、本の売れ行きや著作権問題のほうも気になります。

森派会長の森喜朗会長は、派閥の総会で、総裁候補を一本化調整する気持ちのないことを表明しました。裏返せば、とてもひとりに絞れる状況にはない、ということですね。派内融和のためには一本化がベターでしょうが、政治は家族主義優先の場にあらず。

松野頼三インタビューをつづけます。平成12年(2000年)、小渕恵三首相が突然入院し、政権が交代したときの話。

――小渕さん、無念というか、かわいそうですね。

「わたしは小渕総理をよく知っているが、病気で倒れてから、かわいそうが前面にでて、総理小渕の1年半の業績が霞(かすみ)にかくれちまった。これはなんだか、おかしい、と思うんだ。個人小渕には、かわいそう、気の毒、というけれど、総理大臣という公職の者に、かわいそう、ということばは必要ない」

――一国の首相が、公邸からひそかにライトバンで病院にはこばれた。これはやはりみじめというか、かわいそうですけれど。

「しかし、公人としての実績が、六十二歳の小渕はかわいそうだった、の一言で消されちゃたまらんな」

これは、インタビューの冒頭ですが、いま、6年ぶりに書き写して、胸があつくなってきます。

小渕さんをさいごにみたのは、佐藤誠三郎さん(元東大教授)の告別式のときでした。あのとき、式場にあらわれた小渕さんのうしろ姿がとてもさみしそうだったので、しばらくそれが忘れられませんでした。

その思いをいだきながら、「小渕さん、無念というか、かわいそうですね」と、切り出したのでした。

松野さんは、同情というか、そういう女々(めめ)しい感情は、かえって小渕さんの業績をぼかすものだと、たしなめたわけです。いま、読み返してみても、そのとおりだと思います。

〔フォトタイム〕

風の散歩道

JR三鷹駅南口を左手に行きますと、玉川上水沿いの道路に出ます。ここから井の頭公園まで歩いて12,3分くらいでしょうか(わたしは道草をしたので、正確な時間がわかりません)。このまっすぐの道が「風の散歩道」。なかなか、しゃれたネーミングです。桜の季節は、みごとでしょうね。

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5月 12, 2006 B 大島月刊編集長のひとことメモ | | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年5月11日 (木)

叱る

5月10日、政界のご意見番、松野頼三さんが亡くなりました。佐藤(栄作)派5奉行のひとりで、労相や防衛庁長官をつとめました。晩年は、小泉純一郎首相の指南役だったとか。松野さんには、インタビューや対談などで、ずいぶんお世話になりました。

往年の慶応ボーイは、80歳を超えてもダンディーでした。ある冬、マフラーを無造作にひっかけて、事務所から目の前のキャピトル東急に歩いてきた松野さんの姿は、なかなか粋(いき)でした。このときは、田村元さん(元衆議院議長)との対談をお願いしていました。

とにかく政局の読みや人物評が的確なんですね。若い政治家やジャーナリストに人気があって、引退したあとも松野事務所は先客万来でした。

平成12年(2000年)4月12日におこなったインタビューの一部を紹介しましょう。小渕恵三首相が突然入院し、森喜朗幹事長にバトンタッチするという激震がようやくおさまったころです。

当時、小沢一郎さんの凋落が目立っていました。しかし松野さんは、小沢さんを「国民にはうける」政治家と肯定的にみていました。このあたりからのやりとりです。

——それなのに、側近がどんどん離れ、ついにふたりの女性側近議員も離れてしまいました。

「才能があり過ぎるからだ。待っておれない。列をつくって登山しても、足が早いもんだから、自分だけどんどん登るんだよ。待って一緒に登ればいいのに、一人で登るから、おっこちるときも一人。あれじゃ寿命が短くなる」

——田中(角栄)さんも、せっかちでした。

「せっかちだったけれど、かれは分をわきまえて、待つときは待ったんだ」

——佐藤(栄作)さんの下でじっと我慢しました。

「あの我慢はすごかった。佐藤さんは、またきびしいんだ。わたしの目の前でも、一回、田中を叱っていた」

「なんで、お前は俺のいうことを守らないんだ」「いや、こういうわけで」「言い訳するなっ」と。

「それは派閥のなかの教育は徹底していた。わたしは、あの教育がよかったと思う。吉田(茂)さんも、佐藤さんをよく叱った。それが、いまないんだ」

——叱れない。

「叱る資格がないんだ。叱る親が少ない。ビンタ叩く親が少ないんだ」

——田中さんは、佐藤総理の前で直立不動だったそうですね。

「もちろん、直立不動だ。わたしも直立不動だったし、うんと叱られた。それがしつけなんだ。不思議に叱られるやつは、かわいがられる。わたしも、叱られた翌年には、大臣にしてくれた。叱られないうちは、だめなんだ。見込みがあるから、叱っているんだ」

——いま、若い人を叱ったら、たいへんです。プイと横をむいて出ていってしまうかもしれない。

「だから、いまの政治家はだめなんだ」

松野さん、享年89歳。父親の松野鶴平(元参議院議長)や秘書官をつとめた吉田茂と同様、長命でした。師と同じく、人をくってきたからでしょう。合掌。

(5月11日のアクセス数1660件)

〔フォトタイム〕

JR三鷹駅南口

連休のとき、井の頭公園へ行ってきました。道中もふくめて、紹介していきます。まず、JR三鷹駅南口から。ずいぶん来ていないので、その変貌ぶりに驚きました。駅前広場の再開発計画が決まったのは、昭和37年(1962年)のこと。それから40年以上もかけて、いまのような約8000平方㍍の駅前広場になりました。

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5月 11, 2006 B 大島月刊編集長のひとことメモ | | コメント (13) | トラックバック (2)

2006年5月10日 (水)

民族

ドイツワールドカップ(W杯)まで1か月なのに、ブルガリア戦で敗退。ちょっと、気がかりですね。

5月15日、サッカー日本代表の登録メンバー発表。ジーコ監督は、どういう組み合わせでいくのか。どの分野であれ、人事というのは関心が高いですね。

ことしは荒川静香選手をシンデレラにしたトリノ五輪、王監督とイチローらによるWBC制覇、そして独W杯と、熱くなるスポーツがつづく、まれにみるエキサイティングな年。

国と国の勝負というのは、やはり気合がはいります。これを上回るのは、民族別対抗戦しかない。

でも、まちがっても、民族別対抗戦などという物騒なイベントを実施してはいけませんね。ヘンな審判のせいで、おそるべき流血の惨事に、なんてことになりかねない。

この世に、民族と宗教がなかったら、戦争は半減していたでしょうね。

これだけ世界が緊密に結ばれ、混血がすすんでも、民族というものは厳然として存在している。どこで、どうして、こうもくっきりと、肌合いのちがう民族がうまれたのか。

半面、民族の融合も有史以来、深く、静かにすすんでいます。日本の国技、大相撲がそのいいサンプルです。

異民族をすんなりとうけいれた、相撲協会の度量には敬服します。最初はたいへんな抵抗があったのでしょう。いまでは外国人力士なしでは、大相撲は興行ができないはず。

外国人力士も、日本の相撲文化にみごとにとけこんでいる。大関の琴欧州にしろ、新入幕をはたした把瑠都(バルト)にしろ、白人であっても、相撲社会にあって、すこしも違和感がない。

3日目から休場した横綱朝青龍、名古屋場所も出場できるかどうか、微妙とか。相撲協会は、まっさおですね。強い憎まれ役、朝青龍の存在感は大きいですよ。

(5月10日のアクセス数1546件)

〔フォトタイム〕

日比谷公園その7

日比谷通りのほうの公園入り口に、日比谷見附跡があります。ひらたくいえば、見張り所ですね。「日比谷見附跡」という大きな看板があっても、ほとんどの人は目にとめることもないようです。ときには、江戸城外郭城門の石垣も眺めて下さい。ここから土手にあがると、ベンチがあります。心字池が真下にあって、しばしの憩いの場となっています。

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5月 10, 2006 B 大島月刊編集長のひとことメモ | | コメント (9) | トラックバック (6)

2006年5月 9日 (火)

棟梁

プロなら、だれもファンを大切にするが、そのなかでもとりわけ大切にしていた歌手の松山恵子さんが亡くなった。享年69歳。

阪神問題。関西の人たちは、ヤキモキしているだろうな。いや、関東のタイガース・ファンも。

村上ファンドの取締役候補リストに名前があがった玉井英二氏。住友銀行時代は、やり手だったという。棟梁の器だったらしいが、副頭取のときに社外へでた。

さて、職人の話です。

「自称職人の方に、ちょっと無理なお願いをすると、俺は職人だから、そんな仕事はできねえ、と、ケツを捲(まく)られたりします」

「私がお付き合いしている、この道、半世紀以上の宮大工のおじいちゃん曰く、職人は、どんな無理難題でも誠心誠意取り組んで努力するもので、それが外道と思われる仕事でも、お客さんが望んでいるのであれば、それを実現する。その後に、実は・・・と内輪話で施主さんに話せば良いこと。ハナから仕事を拒否するのは、努力をしようとしない怠け者だ、と、言ってました」

「そうなんですよね。お客が望む、無理難題を実現してきたからこそ、いまのモノづくり立国、日本があると思うんです」(5月8日、G tea)

7日(日)の夜7時から、日本テレビで「日本人が好きな偉人ベスト100発表」という番組がありました。1位織田信長、2位坂本龍馬はなんとなく納得したのですが、3位エジソンにはびっくり。

あの秀吉や家康を抜いて、発明王エジソン。これは日本人の国民性のなにを表しているのか。ちょっと、考え込みました。モノづくりへの憧憬なのかな。

日本人とドイツ人には、共通性が多い。モノづくりへのこだわりなども、そのひとつ。

ドイツ人も、職人を大切にしているようですね。マイスターといわれる職人たちが、全国を行脚して修業している。そのドキュメンタリーをテレビで観たことがありますが、かれらには誇りが感じられました。

韓国は、職人を敬(うやま)うところが、うすいといわれる。韓国の場合、職人にかぎらず、伝統を伝える人々や、ものづくりに携わる人々への目配りが、昔から日本ほどにはなかったようです。

日本では、大工さんのボスを棟梁という。武家のボスもまた棟梁。語感的には、同格である。

こどものころ、どこかの家で新築するときは、上棟式がたのしみでした。屋根のうえから、モチなどをまいたからです。

おとなも、こどもも、一緒になって拾いました。そのとき、屋根のうえの棟梁は特別な人のようにあつかわれていました。

(5月9日のアクセス数1910件)

〔フォトタイム〕

日比谷公園その6

日比谷公会堂と、その近くにある烏帽子(えぼし)石です。浅沼稲次郎が壇上で刺されたり、日比谷公会堂は数々の歴史の舞台となってきました。烏帽子石は、もともと市谷の城郭にありました。烏帽子に似ているので、この名がついています。

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5月 9, 2006 B 大島月刊編集長のひとことメモ | | コメント (6) | トラックバック (2)

2006年5月 8日 (月)

アマとプロ

トリノ五輪の金メダリスト、女子フィギュアスケートの荒川静香選手(24歳)が、プロに転向すると、正式表明しました。まだまだ十分に競技の世界で頂点を維持できるのに、もったいないですね。半面、旬(しゅん)のときの転身は、正しい判断だったとも思います。

だれにも相談しないで、荒川さんは自分で決めたそうですが、おそらくトリノで決断していたのでしょう。「後ろ髪をひかれる思いは、まったくありません」という荒川さんのことばには、清々しさを感じました。がんばって下さい。

これからは一般論ですが、アマとプロは、どこが、どうちがってくるのでしょうか。

「営業」ということばが、真っ先に浮んできました。マネー優先といってもいいでしょう。マネーというと、途端に話が俗っぽくなって、これから華麗な演技でファンに夢をあたえようとしている荒川さんには、申し訳ない気もしますが、やはり心得ておくべき点だと思います。

わたし自身、オピニオン誌の編集者として、それなりの志はもっているつもりですが、いくら高邁な理念をかかげていても雑誌が売れないことには話にならない。

黒字にならなくとも構わない、というケースが雑誌界に皆無というわけではありませんが、ほとんどは販売や広告収入で毎号、一喜一憂しています。

そこがアマチュアの同人雑誌と、プロの商業雑誌(あまり好きなことばではありませんが)のちがいだと思います。

荒川さんにおける営業とはなにか。わかりやすくいえば、集客力と集金力ではないでしょうか。この2つの力は、コインの表と裏でもあります。

だれもがもてるパワーではありません。やはり選ばれた人のみが、この力を存分に発揮できるのです。

しかしながら、その能力は天性のものではなく、たゆみない努力から生じたもの。プロの人たちは、自分をみがくことにおいて、われわれアマの数倍のトレーニングをしています。

プロになっても、結果は、競技生活のときと同様、はっきりと表われます。怠慢は許されないのです。

それにサービス精神。決してサインをことわらない有名プロ選手は、いくらでもいます。「お客様は、神様です」という奉仕の気持ち。アマよりプロの人たちのほうが人間的に厚みを感じさせるのは、そのせいにちがいありません。

(5月8日のアクセス数1811件)

〔フォトタイム〕

日比谷公園その5

日比谷公園のなかにあるレストラン松本楼と、首かけイチョウ。首かけイチョウの名前の由来ですが、この木はもともと現在の日比谷交差点近くにありました。明治時代、道路拡張のため伐採することになりました。そのとき、待ったをかけたのが、日比谷公園を設計した本多静六博士。「わたしの首にかけても移植させる」と頑張ったので、首かけイチョウといわれるようになったそうです。

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5月 8, 2006 B 大島月刊編集長のひとことメモ | | コメント (9) | トラックバック (6)

2006年5月 7日 (日)

時代の鏡

きのう、東京メトロの表参道駅に酒酔い車が突っ込んだ、とか。酔っ払い運転の罰則がきびしくなって、同乗者まで罰金をとられるというのに、不心得者がまだいるんですね。

何年か前、深夜の首都高で、タクシーの運転手さんが、「前のクルマ、酔っ払い運転ですよ」と、教えてくれました。

いわれてみれば、なるほど、クルマがフラフラしているようにみえました。怖いですね。

先日、大手町の交差点で信号待ちしているタクシードライバーは、若い女性でした。なかなかの美人でしたよ。

ある郊外タクシーは、顔写真つきの運転手の名前のそばに、趣味まで書いてありました。個人情報にうるさいご時世というのに、おおらかですね。たしかに、乗客との会話のきっかけにはなると思います。

『正論』6月号で、楯の会の初代学生長だった持丸博さんが、「楯の会事件と三島由紀夫没後36年に思う」という手記を発表しています。

それを読みますと、三島由紀夫がタクシーの上得意であったことがわかります。引用してみましょう。

「先生の潔癖な性格は、別荘嫌い、ゴルフ嫌い、自家用車嫌いによく表われている」

「ひとかどの作家ともなると、それがあたかもスティータスであるかのように、これらを持ちたがる」

「ところが、先生はむしろこれを否定した。とりわけ自家用車に対しては徹底していた」

「外出のときは、必ず自宅から大通りまで歩き、そこからタクシーを拾って出掛けたものだ」

タクシーの競争が過酷なようです。それでも、景気がよくなってきて、すこしはあかるい兆しがでてきたようです。

「やっと3時、4時でもお客さんがいるようになりました」と、ある郊外タクシーの初老ドライバーが語っていました。

高度成長期、深夜の盛り場でタクシーを拾うのは、至難のわざでした。3時、4時でも、路地から酔っ払いが、もくもくと出てきたものです。タクシーがすくのを待って、だらだらと呑んでいるのでした。

六本木で小錦と付け人が何度もタクシーに手をあげるのですが、どれも停まりませんでした。タクシーの乗車拒否が当たり前のころもあったのです。

まさしくタクシーの盛衰は、時代の鏡のようです。

(5月7日のアクセス数1309件)

〔フォトタイム〕

日比谷公園その4

日比谷公園のハナミズキです。案内板によれば、ハナミズキが日本にやってきたのは、大正4年(1915年)だそうです。桜を贈ったお礼としてアメリカ政府からもらったのが、最初とか。日比谷公園のハナミズキも、やはりアメリカからの贈りもの。昭和36年(1961年)、ニューヨーク市から贈られた苗木の一部を植えたものです。

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5月 7, 2006 B 大島月刊編集長のひとことメモ | | コメント (10) | トラックバック (2)

2006年5月 6日 (土)

シアワセ

海野和男著『デジカメ自然観察のすすめ』(岩波ジュニア新書)を買ってきました。いままで振り向きもしなかったジャンルの本です。

「ぼくは昆虫写真家です」というのが、この本の書き出しです。へえ、昆虫だけの写真家もいるのか、というが、最初の驚きでした。

花の写真家、動物写真家、住宅写真家、料理写真家、報道写真家、ヌード写真家(というのかどうかはともかく)など、写真家の世界が細分化されていることは知ってはいましたが、昆虫までは思いがいたりませんでした。

わたしが無知だったわけで、海野さんは35年間も、昆虫ひとすじで仕事をしてきた、この世界の有名人なんですね。著者は、デジカメの利点を力説しています。

フィルムには、フィルムのよさがあります。ただ、インターネット時代になったいまは、たしかにデジカメですよね。フィルム代、現像代がいらないのも助かります。

ゴールデンウイークも後半。連休のよさは、平日が休みになることにあります。きょうやあすのように、土曜、日曜だと、もう連休の悦びもうすれてしまいますね。

ああ、休みもあと1日か。そう思うと、途端に気分もゆううつになってくる。そこを、まだ休みが1日ある、と、考える。こういう「陽性発想トレーニング」(わたしの造語)が身についてくれば、人生、ずいぶん、あかるくなるはず。

古今東西、だれでも知っている方法ですが、「陽性発想トレーニング」というネーミングにすると、なんとなくオリジナル性が感じられますね。

世の中には、シアワセな人間と、不幸な人間がいると思われています。統計があるわけではありませんが、おおむねシアワセな人間のほうが多いように推察されます。

でも、シアワセな人間とか、不幸な人間とか、一体、だれがきめるのでしょうか。どう思うかで、不幸な人間が数分後には、シアワセな人間になっている。

「幸福な家庭はすべてよく似よったものであるが、不幸な家庭はみなそれぞれに不幸である」(中村白葉訳)

トルストイ『アンナ・カレニーナ』の有名な書き出しです。

自分は、いま、どっちだろう、と思っている人は99%、シアワセ派ですね。不幸は鮮明ですが、シアワセのほとんどは不透明だからです

(5月6日のアクセス数1210件)

〔フォトタイム〕

日比谷公園その3

日比谷公園の雲形池です。この池の鶴の噴水が有名ですね。案内板によれば、明治38年(1905年)に東京美術学校(現東京芸大)の津田信夫、岡崎雪声に制作を依頼したもので、装飾用噴水では、日本で3番目に古いそうです。参考までにいえば、1番古いのは長崎諏訪神社、2番目は大阪箕面公園のものとか。

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5月 6, 2006 B 大島月刊編集長のひとことメモ | | コメント (4) | トラックバック (0)

2006年5月 5日 (金)

梅の実

「自然は、何でも教えてくれるものです。葉っぱのせせらぎ、実の付け方、鳥の声、空気の湿り具合、アリの移動。全てが、人間の指導者です。自然のあり方をそのまま受け入れて、感じるものを感じれば、結構、役に立つことも多いのです。ただ、ことしは燕が少なく、桜の実が多いような気がします。災害が起こらなければいいのですが・・・」(5月4日、呂尚)

ことしは、梅の実も多いような気がします。そういうときの言い伝えは何か、あるのでしょうか。

平塚市の5遺体事件、あれは何なんでしょう。横溝正史や江戸川乱歩も考えつかなかった、母親の異常人格がうかがえる怪奇事件になりそうです。

経済紙「フジサンケイ ビジネスアイ」1面の麻生千晶さんの辛口コラム「メディア斬り」は、毎回、痛快で愛読しています。

きょうの題は、「思考停止状態のテレビ局」。4月27日夜に仮釈放された、堀江貴文被告をめぐるテレビ局の、ライブ中継狂想曲批判です。麻生さんが、とくに槍玉にあげたのは、4月30日の「サンデージャパン」(TBS)。

「ロス疑惑の三浦和義氏を特別リポーターに仕立てて、なんと朝の10時から密着取材をやらせていた」

「金髪の三浦氏はやっぱり『あの三浦氏』のままで、自己顕示欲のカタマリ。マイクを持って得意満面、『ヘリが2機飛んでいます。僕の時は5機でした』だって」

「彼は拘置所の中の生活について得々としゃべり、塀の中の先輩ぶりをアピールした。これって、どこかおかしくない?」

そう、麻生さんが書いていました。NHKも、あのときはライブ狂想曲ふうでしたね。

こどもの日。15歳未満のこどもの数は、25年連続減少の1747万人。総人口の13・3%だそうです。

生家の梅の木に、びっしりと実がなっていたころを思い出しました。育ったところは30軒くらいの小さな集落でしたが、こどもたちはたくさんいました。

いつも、集団で遊んでいたものですが、いま、こどもたちはどこで遊んでいるのか。日中、オフィス街にいると、なかなか目にはいってきません。

数日前、本郷の東大へ行ったとき、安田講堂前の広場でこどもたちが若い母親と一緒に、元気に飛び回っていました。近所のお母さんでしょうか、それとも電車でやってきて、こどものころから東大の空気をすわせているのでしょうか。

こどものころ、熟れた梅をよくたべました。幼いころの友だちの顔が幼いままに、浮びあがって、口のなかも甘酸っぱくなってきました。

<牛田さんへ。連休あけに、つぎのことを調べて下さい。先日、「開設から6か月で、累計アクセス数も294625件(3日午前8時30分現在)となりました」と報告しました。さきほど、ココログの累計アクセス数をみたら302140件となっていました。わたしは「プロフィール」をみて書いたのですが、どうして数字がちがっているのでしょうか。ゴルフでは、過大申告も、過少申告も失格になります。どちらが正確なのか、リサーチ、お願いします>

(5月5日のアクセス数1250件)

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日比谷公園その2

日比谷公園の面積は約16万平方㍍。ドイツの公園を手本にしています。江戸時代、このあたりは大名屋敷でした。松平肥前守の上屋敷がありましたし、大岡越前守の上屋敷もこの近くにあったようです。現在、日比谷公園には池が2つあります。野外音楽堂も大と小の2つ。花壇も、第1花壇と第2花壇の2つ。写真は、日比谷通りのほうの心字池です。平日の昼下がりは、近くに勤めている人たちの憩いの場になっています。

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5月 5, 2006 B 大島月刊編集長のひとことメモ | | コメント (7) | トラックバック (1)

2006年5月 4日 (木)

自然体

連休いかがお過ごしですか。わたしのほうは、ようやく自然観察に関心がむいてきて、公園や植物園などに出かけています。

いまごろ、やっと、木や草花の名前を覚えはじめました。

ハナミズキ、カンヒザクラ、クルメツツジ、シャカ、シラン、マカボジシャクナゲ、ホウチャクソウ、シロヤマブキ…。

東京へきて40年以上、日比谷公園は何十回も横切っているのですが、先日、はじめてこの公園のハナミズキをみつけました。だいたい、これまでは、これがハナミズキということすら、知りませんでした。

名前というのは大事ですね。名称を知っているかどうかで、印象がまるでちがってくる。

人間も同じですね。相手の名前を知っているかどうかで、態度もちがってくる。

ところが、ときには、どうしても思い出せないことがある。あるパーティーで、「おひさしぶりです」とにこやかに近づいてきた人と、7、8分話していて、ついに名前を思い出せなかった。あのときは、ほんとに、あせりました。

長く仕事のうえで、お付き合いをしていた人とパーティーでひさしぶりに雑談しました。会話はなめらかにすすんでいたのですが、とつぜん、「名刺をいただけませんか」といわれて、ドキンとしました。

草花の名前といっても、受験勉強ではありませんので、どうしても覚えようとやっきになっちゃいけない。

これからは、なにごとも、覚えられるものは覚える、忘れたものは、忘れたままでうっちゃっておく、という自然体でいこうと思っています。

(5月4日のアクセス数1246件)

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日比谷公園その1

帝国ホテルの前、東京メトロの日比谷線、あるいは千代田線日比谷駅のすぐそばの日比谷公園。明治36年(1903年)に誕生した、日本で最初の洋風近代式庭園です。

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5月 4, 2006 B 大島月刊編集長のひとことメモ | | コメント (5) | トラックバック (0)

2006年5月 3日 (水)

ネット用語

早いもので、「正論ブログ」を始めてから半年になりました。開設から6か月で、累計アクセス数も294625件(3日午前8時30分現在)となりました。ここに立ち寄ってくれた皆様に感謝しています。

最初のころはハラハラ、ドキドキ。どこで闇討ちにあうかと、不安だらけでした。ネット用語にもなじめず、なんだか宇宙の世界に迷い込んだような気分でしたね。

「まスた」という言い方には、参りました。「ました」をなんで「まスた」なんていうんでしょうね(そういえば、このブログには、いつのまにか、「まスた」はおめにかからなくなりました)

岡田敬史著『ブログ進化論』(講談社+α新書)に、ネット用語の話が出てきました。

「ツンデレ」、「amazon病」、「あざーす」

その意味は、同書からそのまま拝借すれば、こうなります。

ツンデレ――普段はツンツンしているのに、ふたりっきりになったりすると、急にしおらしくなって、デレデレといちゃついてくるようなタイプのヒロイン。

amazon病――ネット書店amazonで本を衝動買いしてしまう困った習慣。

あざーす――ありがとうございます。

『ブログ進化論』には出てきませんが、「萌(も)え」というのが、きょうのあさまで、わからなかった。

というのは、けさの朝日新聞に「萌え」の解説が出ていて、やっと意味がわかったのです。

アニメやゲームのファンの間で使われる言葉で、キャラクターに対する恋愛に似た感情を「萌え」というのだそうです。

メガネの女の子にひかれたら、メガネっ娘(こ)萌え、というらしい。ほかに、妹萌え、女装少年萌え、ネコ耳萌え、というのもあるとか。

わたしも、だんだんネット人間に近づいたのでしょうか、もうそんなに違和感がありません。

(5月4日のアクセス数1142件)

〔フォトタイム〕

大横川の桜その5

深川・大横川の水辺の桜のさいごは、越中島橋付近の風景です。

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5月 3, 2006 B 大島月刊編集長のひとことメモ | | コメント (5) | トラックバック (1)

2006年5月 2日 (火)

週刊プレイボーイ

「歴史は繰り返すって言います。金正日も噂では、金日成を暗殺して、今の地位についたとか・・・。ならば、金正男も、金正日を暗殺するかも・・・。無論、金正日も、自分がしていれば、警戒しているでしょう。果たして、どうなりますのですか?」(5月1日、呂尚)

ずいぶん、物騒なコメントですが、金正日については、父親暗殺の嫌疑がささやかれているのはたしかですね。本誌先月号で萩原遼さん(ジャーナリスト)が、「金正日、金日成を殺す!」という文書があることを紹介しています。

金日成といえば、いま発売中の『正論』6月号で、若宮清さん(ジャーナリスト)が、金丸訪朝団の内幕を書いています。若宮さんは、金丸訪朝団に深くかかわっていました。金丸という政治家の素顔が、みごとに描かれています。で、金丸訪朝団の成果ですが、金日成のほうが、一枚上手でした。

けさの朝日新聞によりますと、「週刊プレイボーイ」(集英社)の発売日が1日早くなって、「週刊現代」(講談社)、「週刊ポスト」(小学館)と同時発売になったそうです。

「だから、どうしたの?」といわれそうですが、雑誌編集者にとって、発売日というのは、関心があるものなのです。「週刊プレイボーイ」は、「週刊現代」や「週刊ポスト」とは異質な、若者むきの誌面づくりで読者をひきつけてきました。

同時発売は、「週刊現代」や「週刊ポスト」と同じ路線への転換を意味しています。月刊誌の競争も激しいですけれど、週刊誌はもっときびしい。

とにかく部数の落ち込みがひどいのです。日本ABC協会の調べによる昨年7月から12月までの半期の3誌の平均実売数は、こうなっています。

「週刊現代」約49万部、「週刊ポスト」約44万部、「週刊プレイボーイ」約29万部。

朝日によれば、6年前の同期と比べると、「週刊現代」が約15万部、「週刊ポスト」が約22万部、「週刊プレイボーイ」が約13万部もへっているとか。

う~ん。ここまで落ち込んでいるとは知りませんでした。

ニュース性を強めて強豪2誌に挑戦する、「週刊プレイボーイ」のこんごに注目していきたいと思います。

(5月2日のアクセス数1713件)

〔フォトタイム〕

大横川の桜その4

黒船橋付近の桜です。

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5月 2, 2006 B 大島月刊編集長のひとことメモ | | コメント (12) | トラックバック (1)

2006年5月 1日 (月)

兄妹

金正日ファミリーの動静に関して、けさの産経新聞に興味深い記事が載っています。

記事によれば、東アジア某国の情報機関は、昨年はじめから、平壌―北京間で煩雑におこなわれる男女の国際電話の傍受に成功したというのです。

電話の男は、北京に滞在中の金正男。金正日の長男で、5年前の5月、成田空港で拘束された人物ですね。この一件で、父親の怒りを買い、金王朝の後継者候補からはずされたといわれています。

平壌の女は、金敬姫。復権した朝鮮労働党第一副部長、張成沢の妻。金正日の実妹ですね。

金正日は、少年時代に生母を亡くしました。かれには、自分の父親は、母を大切にしなかった、という思いがあったにちがいありません。

金正日は、継母とその息子たちとは、仲がよくありませんでした。そのかわり、母親がおなじ金敬姫を溺愛し、信頼していました。

金正日は、金敬姫を要職にもつけています。一時期の北朝鮮は、金正日・金敬姫体制といっても、おかしくないときもあったのです。

でも、金敬姫に夫ができ、その夫が切れ者だと、兄妹の間の関係も微妙になっていきます。お市の方になってしまうんですね。

戦国武将、浅井長政は、織田信長の妹、お市の方をめとりました。最初、両者の関係はわるくなかったのです。しかし、長政は信長を裏切りました。

姉川の合戦で長政は破れ、小谷城で自害しました。いまから443年前の出来事です。

あ、そうそう。北朝鮮の話でしたね。ことわっておきますが、お市の方と金敬姫の間に共通点は、ほとんどありません。お市の方は政略結婚、金敬姫は恋愛結婚ですし。

言いたかったのは、結局、実兄よりも夫のほうが、大切なんですね。ご存じのように、夫の張成沢は金正日に疎んじられ、長く追放の憂き目にあっていました。

同じ境遇にあった金正男は、叔母の金敬姫と電話で愚痴をこぼしあっていたのでしょう。酔っ払ったふたりは、一時間以上も電話で語りあっていたそうです。

おそらくケータイでしょうが、いまはかんたんに傍受できるようです。ケータイというのは、便利ですが、いまどこにいるか、所在がわかるんですね。秘密の場所へ忍んでいくときは、電源をきったほうがよろしいようで(追跡されるおそれのない人は心配無用)。

きょう、発売の『正論』6月号には、国際ジャーナリストの大野和基さんが、現時点で後継本命といわれている、金正日の次男、金正哲(金正男の異母弟)のスイス留学時代のことを現地で取材したリポートが載っています。こちらもまた、興味深い事実がたくさん出てきます。

(5月1日のアクセス数1801件)

〔フォトタイム〕

大横川の桜その3

石島橋付近の桜並木です。

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5月 1, 2006 B 大島月刊編集長のひとことメモ | | コメント (4) | トラックバック (0)

2006年4月30日 (日)

編集後記

毎号、編集後記に何を書こうかと、思案しています。正直にいって毎日、更新しているブログのほうが、編集後記よりずっと気楽ですね。なにしろブログは、日記ですから。

考えたら、ブログを日記ふうというのは、ほんとはおかしな話です。だって、日記というのは、そもそも非公開なもんでしょう。

たしかに、公開されることを前提に書いた日記というのは、ないわけじゃない。でも、読み手を意識した日記なんて、どこか思惑アリアリで、ちょっとさもしい感じですよね。

わたしの知人のなかには、『正論』の編集後記だけしか読んでくれない人がいます。そう年賀状に書いてありました。うれしいような、うれしくないような。わずか1ページですから、書店で立ち読みするには、ちょうど手頃なのでしょう。

あす発売の『正論』6月号の編集後記では、筆坂秀世氏の話題の書『日本共産党』(新潮社)について書きました。

この人は3年前は共産党政策委員長、常任幹部会委員、参議院議員というエライ方でした。代々木のナンバー4ですよ。

まだ序列第4位だったとき、筆坂氏は、カラオケボックスで党職員の女性とダンスやデュエットをしたそうです。

ご本人の弁によれば、相手の身体を強く抱きしめたり、肩にまわした手を腰におろしたりはしたけれど、なぜセクハラで訴えられたかわからないそうです。

いずれにしても、女性の言い分が通って、筆坂氏は輝ける肩書きを剥奪されてしまった。

女性がどういっているのか、それを聞かないことにはなんともいえませんけれど、筆坂氏はこの処分に憤慨して昨年7月に離党し、さらに内部告発に踏み切ったわけです。この本についての、わたしの感想は、どうぞ6月号で。

(4月30日のアクセス数1271件)

〔フォトタイム〕

大横川の桜その2

巴橋付近です。

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4月 30, 2006 B 大島月刊編集長のひとことメモ | | コメント (3) | トラックバック (0)

2006年4月29日 (土)

鎮魂

あさ、近くの公園を散歩してきました。路傍にケシの花が咲いていました。もちろん、野生のケシです。公園で、草花が妍(けん)を競っていました。

きのう、竹橋の東京国立近代美術館で藤田嗣治展をみてきました。見慣れた乳白色の肌の裸婦とは、およそ異質な絵もたくさん展示されていました。

フジタは戦争画も描いています。そのため戦後、戦争に協力したと責められました。しかし、その絵には戦争の賛美ではなく、将兵への鎮魂が感じられます。

フジタの父親は軍医で、森鴎外と同様、のちにトップの軍医総監までのぼりつめました。

父親が高位の軍人だから、戦争に協力したわけではないと思います。程度の差はあれ、祖国を守るという崇高な気持ちが、当時の大半の日本人にはあったと思います。

昭和20年(1945年)の3月、4月、5月というのは、特攻隊員の出撃の多かった月です。

この年の4月29日、神風特別攻撃隊の市島保男海軍大尉(23歳)が沖縄の海上で戦死しました。

平成15年(2003年)8月発行の「正論」臨時増刊「靖国と日本人の心」に市島大尉の遺稿が掲載されています。その一部を紹介します。

「ただ命を待つだけの軽い気持である」

「隣の室で『誰か故郷を思はざる』をオルガンで弾いてゐる者がある。平和な南国の雰囲気である」

「徒然なるまゝにれんげ摘みにでかけたが、今は捧げる人もなし」

「梨の花とともに包み、僅かに思ひ出をしのぶ。夕闇の中を入浴に行く」

「隣の室では酒を飲んで騒いでゐるが、それもまたよし。俺は死するまで静かな気持でゐたい。人間は死するまで精進しつゞけるべきだ。ましてや大和魂を代表するわれわれ特攻隊員である。その名に恥ぢない行動を最後まで堅持したい」

れんげ。昨年のきょう、千葉県大多喜町のれんげ祭りをみてきました。そのとき、まだこの遺稿は知りませんでした。こんど、れんげをみたら、出撃直前にこの花を摘みにでかけて市島大尉を思い出し、鎮魂の祈りをささげたいと思います。

(4月29日のアクセス数1289件)

〔フォトタイム〕

大横川の桜その1

4月初旬、深川公園、深川不動堂、富岡八幡宮、永代寺、門前仲町の火の見櫓と歩いてきました。そいて門前仲町の大横川にたどりつきました。大横川には、橋がいくつもかかっています。桜の季節はとうに去っていますが、しばし深川の桜と橋にお付き合い下さい。

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4月 29, 2006 B 大島月刊編集長のひとことメモ | | コメント (5) | トラックバック (0)

2006年4月28日 (金)

世間に達せず

昨夜、帰宅すると、NHKテレビはヘリコプターをつかって、小菅の東京拘置所前を映していました。

ところが、ホリエモンはなかなか出てこない。いったい、どのくらいの待ち時間を浪費したのか。まあ、こっちも、どんな顔をして出てくるのか、どういうことをしゃべるのか、興味がなくもないので、がまんはしていました。

で、かれが意外にしおらしく登場して、一度ならず二度も、ふかぶかと頭をさげていました。かれは、なにか、大声でしゃべっています。

それなのに、肝心の声がマイクにはいっていない。NHKの技術陣よ、音をとるのが仕事でしょ。

と、思ったら、報道陣とホリエモンの間は156㍍も離れていて、どこも音がとれなかったのでした。かれの発言はあとで、弁護士が発表しました。

きようの朝日新聞によれば、かれは、「世間をお騒がせし、申し訳ございませんでした。ライブドアの株主の皆様、従業員の皆様、関係者の皆様、ご心配をおかけしました。また、大勢の方に励ましをいただきました。ありがとうございました」といったのだそうです。

謝罪のことばに終始したのも、低姿勢のポーズを印象づけるかれの計算でしょうね。ソフトに、かつ、にこやかに、スリムになったホリエモンの反撃が開始されました。

それにしても、テレビは、あやうくホリエモンのイメージ作戦に利用されるところでしたね。大声を出したけれど、世間に達せず、という一幕でした。

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〔フォトタイム〕

門前仲町の火の見櫓

富岡八幡宮から徒歩数分、黒船橋のたもとに門前仲町の火の見櫓(やぐら)があります。もともとは、富岡八幡宮の鳥居の近くにあったものを、ここへ移しました。

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4月 28, 2006 B 大島月刊編集長のひとことメモ | | コメント (6) | トラックバック (8)

2006年4月27日 (木)

お手並み拝見

いま朝の8時30分。NHKニュースをビックリして聴いています。ブッシュ大統領が、訪米中の横田早紀江さんら拉致被害者の会と会見するというのです。

これは大きな前進ですね。以前、アメリカの駐日大使が、新潟市を訪れて横田めぐみさんが拉致された現場を視察しました。

当時、たしか大使が、「ブッシュ大統領にも伝えたい」といった意味のことを述べたように記憶しています。あの時点、すでにホワイトハウスは、大統領と拉致被害者の会との会見を検討していたのでしょう。

大統領が会見するということは、なんらかの目算があってのことだと思います。ブッシュ大統領の一手に期待したいと思います。

「太田(和美)氏の前職&履歴もさることながら、この方の信念や価値観、思想ってどうなんでしょうか

いまどきの年齢相応の女性でしかないとしか思えませんが。そんな女性が議員になって何をやるのか、お手並み拝見、ですね

それと、小沢一郎の腹の内を見抜けずにいて、更には人気投票と勘違いして、太田氏に一票を投じた、千葉の選挙民の良識を非常に疑う」(憂国者)

このコメントの、お手並み拝見、ということばで思ったのですが、選挙後、有権者の大半は当選者の公約に、案外、関心を示さないですね。とくに野党議員の場合、関心ゼロといってよいでしょう。

選挙が終ってしまえば、だれが何を約束したのか、覚えてもいない。すこしは思い出してみましょう。

太田さんの選挙のときのスローガンは、「負け組ゼロへ」でした。

スローガンを考えるとき、どういう文句が有権者にアピールするか、ということが先にきます。それが実現できるかどうか、など二の次ですね。

実際、負け組をゼロにすることなど、太田さんが内閣総理大臣になっても不可能です。

太田候補に投票した有権者のだれひとりとして、彼女が負け組をゼロにできるなどとは思ってもいません。

でも、太田さんを代議士に選んだ千葉7区の有権者のひとりくらい、これから太田議員が負け組ゼロにするために、政界でどういう活動をしていくのか、じっとフォローしてほしいと思います。

「千葉の選挙民の良識を非常に疑う」とまでいわれたのです。太田議員を見守り、育ててはいかがですか。

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〔フォトタイム〕

永代寺

真言宗大栄山永代寺は、深川不動堂の参道の右側にあります。深川不動堂と同様、富岡八幡宮の敷地内にありました。そもそも永代寺を建立したのは、富岡八幡宮の初代宮司、富岡長盛でした。長盛は神職と住職を兼ねていたのです。明治の改革で永代寺は分離され、当時の第16代別当は僧侶兼務をやめて、富岡八幡宮の神官専従となりました。

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4月 27, 2006 B 大島月刊編集長のひとことメモ | | コメント (10) | トラックバック (3)

2006年4月26日 (水)

砂漠化

昨日、フジサンケイグループ主催の「地球環境大賞」の第15回授賞式が秋篠宮ご夫妻をお迎えして、明治記念館でおこなわれました。

グランプリ(大賞)に輝いたのは、地球温暖化の原因となる温室効果ガスの排出削減で、めざましい成果をあげた旭化成グループでした。

地球環境といえば、中国の黄砂現象が気になります。

ことしは、例年になくひどいようです。とくに4月18日は規模が大きく、北京市内は黄色く染まったそうです。

なにしろ1日で30万トンを超す黄砂がふりそそいだというのですから、おだやかではありませんね。

対岸の火事ではないのです。中国の黄砂は、すでに偏西風に乗って日本までやってきています。

原因は、国土がどんどん砂漠や荒れ地と化すなど、環境破壊がすすんでいるからですね。

中国は、960万平方キロ㍍におよぶ広大な領土をもっています。

ロシア、カナダについで世界で3番目に大きな国です。日本は38万平方キロ㍍ですから、中国はわが国の25倍もあるわけです。

ところが、とてつもなく広いようにみえて、じつは人口に比して利用価値のある国土は意外に少ない。

なにしろ総面積960万平方キロ㍍のうち3分の1近くは砂漠です。

中国は大きく東部と西部に分けることができますが、その人口分布がとてもアンバランスです。沿海部を含む東部は総面積の3分の1になりますが、ここに人口の90%以上が集中しています。内陸部の西部は総面積の3分の2を占めながら、人口は全体の10%にも満たない。

いま中国政府が西部大開発を最重点政策の一つにしているのも、この不均衡を是正したいからです。

耕地面積も広いとはいえない。日本の場合、農民一人当たり〇・9ヘクタールですが、中国は〇・2ヘクタールにすぎない。

日本の場合、農家の数が減っているけれど、中国はまだ総人口の6割以上が農民。こういう相違が日中にはありますが、世界の平均耕地面積と比べても中国はわずか3分の1なのです。

いずれにしても、世界の総人口の20