ご存じのように、「叱る」と題した5月11日のエントリーに、つぎのようなコメントが寄せられました。
「先日、小学校4年生の娘が、下校途中に下半身を露出した男に話しかけられながら、付きまわされた。自宅に上がる階段まで」
「わたしの自宅は仕事場の上にあるのだが、嫁がすぐに仕事場に電話してきて、わたしにそのことを告げた」
「わたしは、おそらく血相を変えて自宅に上がり、こどもに、そいつ、どこにおった? と聞いた。こどもは怯(おび)えながら、どこどこ、と答えた。110番しろ、と嫁にいって、すぐわたしは走った」
「こどもがいう場所、下校道路をくまなく探した」
「それらしき男を見つけたら、捕まえる。刃物を持ってようが、捕まえる。許さん。ただの変態ならいい。そういう連中がエスカレートしたのが、昨今の変態凶悪犯罪だ」
「おそらく、わたしの顔が怖かったのだろう。結局、不審な人物を見つけることが出来ず、自宅に戻ると、こどもと嫁が心配そうに近づいてきた。大丈夫やった? と、何故か、わたしの身を案じている」
「パパは大丈夫や。見つけたら、パパが捕まえたるからな、心配すな、と、わたしなりに精一杯、怯えている娘を包んだ」
「わが家では、一応、父親の威厳は保たれていると思う。叱るときは、キオツケで聞かせている」
「ただ、ふんぞり返って父親ぶるつもりはない。大袈裟ないい方かも知れないが、家族を守るためなら命をかける覚悟ができているから、自然とそうなる。父親とは、そういうものだと思っている」(5月12日、ke-go)
感動し、かつ、ご無事でよかったと、胸をなでおろしました。御身大切、なにがなんでも捕まえるという気迫には同意しかねるけれど、命をかけて家族を守る父親の気構えには文句なしにうたれました。それに、しつけのきびしさも。
「叱る」の部分の松野頼三インタビューは、そのあと、こうつづきます。
――いまの派閥の長で叱れる人は、だれもいないと思います。かろうじて小沢一郎さんには、そういう怖さがありました。過去形でいえば。
「たしかにあった。ところがほとんど逃げて行っちゃった。吉田(茂)さんもきびしかった。佐藤(栄作)、池田(勇人)に対してきびしかった。その代わり、何もないやつは、相手にしなかった。吉田さんは、ものをいわない。横をむいて終わりだ」
「派閥というと、いかにも利権集団みたいにみられるけれど、そうじゃない。教育集団だったところに、派閥の価値があった。政治家教育をした」
「福田さんもきびしかった。ふしだらなことが嫌いだった。森(喜朗)総理もその派閥のなかに育った。そういう点で、いまも若い代議士よりも長幼序の礼儀とか、一般的な常識は持っていると思う。そこで福田(赳夫)さんから学んだことを実行するチャンスなんだ、いまは」
――派閥は永田町の寺子屋。
「相撲部屋のようなところがあった。全部が全部とはいわんが、それに近い格好だったね、昔の派閥は」
――稽古量の多い人が、どんどん上にあがる。
「それには、きびしく叱る領袖がいなきゃだめだよ。叱る派閥の長が出てくるとき、日本はほんとうに立ち直ると思う」
派閥の功罪はひとまずおくとして、たしかに政治家のしつけは、国家の存亡にストレートにかかわる要素ですので、そういうしつけの場とか、オヤジと呼ばれるきびしい師匠は必要かもしれないですね。
きのう、TBSから編集部に電話がありました。あすの(ということは、きょうの夜10時からですけど)「ブロードキャスター」で松野インタビューを紹介したいので、掲載誌はないかと。喜んで、『正論』平成12年(2000年)6月号をさしあげました。
テレビですから、ほんのひとことの引用でしょう。もっとも、ニュース番組は流動的ですから、ほんとに放映するかどうかはわかりません。
<きょう・あす・あさって>
昭和61年(1986年)5月13日 8日から来日していたイギリスのチャールズ皇太子・ダイアナ妃帰国。あれから、もう20年になりました。この間、ジャーナリスト60人ほどが赤坂の迎賓館に招かれて、ご夫妻と会見しました。いずれ、お話する機会もあるでしょう。
昭和21年(1946年)5月14日 吉田茂、自由党総裁就任をうける。60年前。
昭和51年(1976年)5月14日 衆議院ロッキード問題調査特別委員会設置。30年前。
平成3年(1991年)5月15日 安倍晋太郎、死去。享年67歳。没後15年。
平成8年(1996年)5月15日 高坂正尭、死去。享年62歳。没後10年。
(5月13日のアクセス数1280件)
〔フォトタイム〕
山本有三記念館
「風の散歩道」をしばらく行くと、右手に洋館の山本有三記念館があります。山本は、昭和11年(1936年)から進駐軍に接収される昭和21年(1946年)末まで、この家に住んでいました。『路傍の石』を書いたのも、この家でした。記念館の前に、大きな「路傍の石」がありました。この石は、もともと旧中野陸軍電信隊付近にあったものだそうです。